日露戦争のシメの海戦「日本海海戦」で有名な「丁字戦法(T字戦法)」。
日本海海戦は丁字戦法によってバルチック艦隊に打ち勝つことができた――。
その事実が有名だからでしょうか。
丁字戦法については、戦術としての具体的な中身も当然のごとく知っていることにされてしまいがちです。
日本海海戦の書籍を読んでも、丁字戦法そのものの基本的な戦い方や考え方についてはまったく触れられていない……、なんてこともしばしば。
それで困ったことが誰しも一度はあるはず。
少なくともわたしは困りましたよ!
丁字戦法について知りたいから本を読んで調べているのに、知っていること前提がなぜか話が進んでいくんですもの。
というわけでこの記事で丁字戦法の基本を徹底的に解説します。
気合を入れてオリジナル図解イラストも描きました。
イラストの中に描かれている艦船のデザインもちゃんと明治時代仕様です。
ちなみに「丁字戦法」と日本語で書くときの読み方は「ていじせんぽう」です。
(「T字戦法」だとふつうに「てぃーじせんぽう」。「T字」よりは「丁字」と呼ぶほうがメジャーなようです)
「丁字戦法(T字戦法)」は極秘作戦でも極秘戦術でも特別な技でもなんでもありません。
海軍の戦い方として定番戦術、定番作戦のひとつです。
戦闘中の味方艦隊と敵艦隊の位置関係が、上空から見たときに「丁字(T字)」に見えるので「丁字戦法(またはT字戦法)」と呼ばれています。
※味方艦隊が海上を丁の字を書くように動くから丁字戦法、というわけではありません。
わたしは長いこと「自分が丁字のように動くから『丁字戦法』というのだ」と思いこんでいたので、日本海海戦で「日本海軍が丁字戦法で戦った」といわれていることが不思議でたまりませんでした。
どう見ても「丁の字なんて書いてないじゃん!」って……。
戦術としてこの戦い方は、「丁字」のヨコ棒が有利でタテ棒が不利です。
タテ棒状態で並んでいる敵に向かって、こちらはヨコ棒状態に艦を並べて撃ちまくるという展開に持っていくのが「丁字戦法」のおおまかな流れです。
日本海海戦では、作戦参謀だった秋山真之中佐が「バルチック艦隊を迎え撃つには『丁字戦法』が効くんじゃないですかね」と提案しました。
※つまり、秋山真之がつくったオリジナル戦闘術ではないのです。
上でもいったとおり、「丁字戦法」そのものは定番戦術のひとつです。
「『東郷ターン』がすごい!」といわれるのは、東郷平八郎が秋山真之も予想していなかったほどの意外なタイミングで「丁字」になるように艦隊の進路を変えたからです。
実際にそれはバルチック艦隊に効果抜群だったので、日本海軍はバルチック艦隊を倒すことができました。
「丁字戦法」の戦い方
上空から見ると、敵味方の配置が「丁字(T字)」に見えるから「丁字戦法(T字戦法)」
ひとまず「丁字(T字)」を思いだしましょう。
どんっ。

丁字戦法を理解するためにはまず「丁(T)」の字を思いだしましょう。
「丁(T)」の文字はタテ棒とヨコ棒が組み合わさった、単純明快なかたちをしています。
これのタテ棒に敵を入れて、ヨコ棒に自分たちの入ることが目標です。
タテ棒の位置が不利、ヨコ棒の位置が有利だからです。

では、艦隊が並んでいる様子で想像してみましょう。

タテ棒が不利で、ヨコ棒が有利です。
タテに並んでやってくる敵をヨコに広がって迎え撃つ
どうして「丁字(T字)」のタテ棒が不利で、ヨコ棒が有利になるのでしょうか。
それは艦隊の進み方に理由があります。
下の図のようにタテに並んで艦隊は進みます。

この進み方を「単縦陣(たんじゅうじん)」といいます。
「単縦陣」で進むと、艦列が乱れにくいのです。
ただし体当たり攻撃には向かないので、遠距離から攻撃できる大砲の発展とともに使われるようになりました。
タテに並んで進む「単縦陣(たんじゅうじん)」は、船の列が乱れにくい進み方です。
アレコレ考えなくても「前の船についていけばいい」ので、無線やらメールがない状況であってもわかりやすい、やりやすいのですね。
16世紀半ばごろに大砲を50門以上つけて砲撃戦のできる帆船(戦列艦)がつくられるようになると、艦隊はタテに並んで進むことが一般的になりました。
ただしこのタテに並んで動く進み方(単縦陣、たんじゅうじん)は体当たりには向きません。
大砲を使ってある程度遠くまで攻撃できるようになったからこそ普及しました。
とくに日本海軍ではうしろの艦が前の艦についていきやすい工夫がされていました。
カゴ状のシンボル「速力標」、板をはりあわせた風車のような物体「舵柄(だへい)信号標」をうしろの艦に見せながら進むように艦が設計されていたのです。
「速力標」では艦のスピード、「舵柄信号標」では艦がいま左右どちらに進んでいるのか(舵の方向)がわかります。
うしろの艦は前の艦のその設定をまねすれば、列を乱れさせることなく前の艦についていくことができました。
さて、やってきた敵艦隊。
こちらはヨコに広がって壁のようになり迎え撃ちます。

タテ棒が不利で、ヨコ棒が有利です。
まるで丁の字のよう!
タテに並びっぱなしの敵軍はさっそく不利な状況になってしまいました。
なぜならば、
- 前にいる味方艦が邪魔で大砲を撃てない!
- (うしろにいる味方艦は)無理やり大砲を撃っても弾が届かない!
から。
これでこちらは相手が攻撃できないあいだに思いっきり攻撃することができます。
実際にはキレイな丁字をつくることはむずかしい
テクニックとして読んでいると無敵に思えてくる「丁字戦法」。
ですが、うつくしい丁字を現実の戦闘でつくるのはむずかしいことでした。
丁字戦法は世界の海軍で定番戦術のひとつです。
いくらこちらが「丁字に持ちこんでやる!」と思っても、「このままだと丁字になっちゃう!」と相手も気づくのが普通です。
気づいた敵軍は丁字にならないように、艦隊の進路を変えてきます。
敵軍の変更した進路をちゃんと見破り、それを封じるように的確に動くことがこちらには求められます。
電話もメールもできない時代(または状況)だと、その動き方を味方に連絡して徹底させるのはとてもたいへんでした。
「丁字戦法」は極秘戦術ではなくて海軍の定番戦術のひとつだった
日本海海戦当時の戦艦のおおまかなかたち
日本海海戦当時の艦は、丁字が成立するととくに有利になる構造になっていました。

それを挟むようにして前後両端にメインの大砲を装備していました。
なぜなら、下の図のように、真ん中に艦橋をはじめとする構造物を挟んで両端に大砲があるからです。

艦の前後にメインの大砲がついています。
敵がタテにまっすぐ進んでいるとき、敵の大砲は一方が前を、もう一方は後ろを向いています。
つまりふたつの大砲のうち、使えるのは片方だけです。
丁字のヨコ棒になって迎え撃つこちらの大砲は、両方とも敵軍に向かって撃つことができます。
さらに注目したいのが、サブの大砲の存在。
日本海海戦当時の戦艦は、艦の前後についたメインの大砲のほか、サブの大砲が艦の両サイドにいくつもついていました。
このサブの大砲のことを「副砲(ふくほう)」といいます。

メインである前後の大砲のほかに、側面にもサブの大砲がついていました。
全体的に、丁字戦法のヨコ棒側で戦うのに適したかたちをしています。
前後の大砲、サイドの大砲の片面側をフルに使うことができるからです。

前を向いて戦うよりも、横側の敵をやっつけることに向いたデザインをしています。
「丁字戦法(T字戦法)」の弱点とは
めちゃくちゃ無敵に思えてくる丁字戦法ですが、じつは弱点があります。
それは、よくも悪くも相手が「戦おう」とこちらに向かってくるときに効果を発揮することです!
つまり、敵軍が逃げてしまうとそもそも丁字が成立しないので、丁字戦法そのものが実行できません。
ほかの方法で戦うしかなくなるんですね。
丁字戦法が使われた代表的な海戦を見てみると、そのような事例を確認することができます。
「丁字戦法」が使われた有名な戦闘(海戦)一覧
リッサ海戦(普墺戦争 )
1866年(慶応2年)7月20日、アドリア海リッサ島(現在のクロアチア領ヴィス島)沖にて。
イタリア軍VSオーストリア軍の戦い。
イタリア軍は「丁字戦法」をしようとしましたがうまくいきませんでした。
体当たり攻撃で丁字を破ったオーストリア軍の勝ち。
つまりこのときは「丁字戦法」のやり方が新しくてまだまだ未熟だったんですね。
それに比べて体当たり攻撃には歴史と伝統がありますから、その分ノウハウが蓄積されている。
結果、イタリア軍はオーストリア軍に敗北してしまいました。
黄海海戦(日露戦争)
1904年(明治37年)8月10日、黄海、旅順沖にて。
日本海軍VSロシア太平洋艦隊の戦い。
日本海軍はロシア軍に「丁字戦法」を仕掛けましたが逃げられてしまいました。
「丁字」は成立しなかったものの、日本軍の勝ち。
このときの経験が生きて、日本海海戦の東郷ターンは絶妙なタイミングでおこなわれることになりました。

ものすごい余談ですが、黄海海戦には日露戦争バージョンと日清戦争バージョンがあります。
調べるときには要注意です!
日本海海戦(日露戦争)
1905年(明治38年)5月27日~5月28日、日本海対馬沖にて。
日本海軍VSロシア バルチック艦隊の戦い。
「丁字戦法(T字戦法)といえばコレ!」というくらい有名。
日本海軍がバルチック艦隊に「丁字戦法」を仕掛けて、日本海軍の勝ちに終わりました。
エリ海戦(バルカン戦争)
1912年(大正元年)12月16日、ダーダネルス海峡にて。
ギリシャ軍VSオスマン帝国軍。
ギリシャ軍は「丁字戦法」でオスマン帝国軍に勝ちました。
ユトランド沖海戦(第一次世界大戦)
1916年(大正5年)5月31日~6月1日、北海、デンマーク沖にて。
イギリス軍VSドイツ軍。
イギリス軍は「丁字戦法」でドイツ軍と戦おうとしましたが、ドイツ軍に逃げられてしまいました。
サボ島沖海戦(太平洋戦争)
1942年(昭和17年)10月11日深夜〜10月12日、ソロモン諸島、サボ島沖にて。
日本海軍VSアメリカ軍。
アメリカ軍に「丁字戦法」をされました。
結果はもちろんアメリカ軍の勝ち!
スリガオ海峡海戦(太平洋戦争のレイテ沖海戦のうちのひとつ)
1944年(昭和19年)10月下旬。スリガオ海峡にて。
日本海軍VSアメリカ軍。
アメリカ軍の勝ち!
日本海軍はアメリカ軍に丁字戦法を仕掛けられました。
「スリガオ海峡海戦」の日本軍の負け方は悲惨でした。
アメリカ軍の艦隊には、真珠湾攻撃で日本軍に沈められたのを復旧した艦が5隻(BB46メリーランド、BB48ウエストバージニア、BB38ペンシルバニア、BB43テネシー、BB44カリフォルニア)も含まれていたそうです。
「リメンバー・パールハーバー(REMEMBER PEARL HARBOR)」が聞こえてきそうな話です……。
余談。やったことをやり返されてしまう日本
そういえば日本って効果的な作戦を立てて大勝利を収めても、なぜかのちにその戦い方を敵にやり返される羽目になるんですよね~。
艦砲射撃、空襲、そして丁字戦法……。
番外編。映画『バトルシップ(2012年公開)』で宇宙人軍団を相手に「丁字戦法(T字戦法)」!?

厳密には違うのかもしれませんが、そうともいえるよねってことでここはひとつ……
映画『バトルシップ』のラストバトルはこんな流れでした。
やってくる敵宇宙人軍団を目前にして(攻撃を避けつつ)ターンッ!!→→→すべての砲を敵宇宙人軍団に向けて撃ちまくる!!
この展開は「丁字戦法」といえるのではないでしょうか。
ハリウッドさまも選んでくれるぐらい、「丁字戦法」は華やかなんですね~! 胸熱ッ!!
日露戦争・日本海海戦での丁字戦法
日本海海戦のおおまかな流れ
まずバルチック艦隊は対馬海峡を南側からやってきました。

※実際の艦列はこれより複雑ですし、艦と艦の距離はもっと開いています。
デフォルメされたデザインによるイメージとしてご理解ください。
日本海軍はその正面に立ちはだかります。

日本海軍は内心「本当にバルチック艦隊が来るのか」不安になっていたとか……。
バルチック艦隊の旅程がトラブルつづきで遅れに遅れていたからです。
この段階ではまだ日本海軍も「まっすぐ」に艦隊が並んでいます。
こういう展開のときは、お互いに直進してすれ違うのがセオリー。
で、すれ違いざまに大砲を撃ちあうのが定番です。
先に説明したとおり、大砲も副砲もそういう使い方で運用することを前提に設計されていましたから。
もちろんバルチック艦隊もそのつもりで直進していました。
ところが「東郷ターン」!!

日本海軍の右側面はバルチック艦隊から丸見えです。
「日本海軍は何を考えているの!? こんなタイミングでUターンなんて意味がわからない!」
と、バルチック艦隊は思いました。
このときの日本海軍は、バルチック艦隊の射程距離内にすでに入っています。
東郷ターンはつまりとっても急激、唐突なUターン!
この結果、日本海軍の艦の右側はバルチック艦隊から丸見え状態。
「どうぞ大砲を当ててください」といわんばかりです。
バルチック艦隊にとっては大チャンス!
日本海軍はバルチック艦隊から激しい砲撃を受けます。
が、何とかここを耐えて、丁字が成立!
さあ、丁字のヨコ棒から撃って撃って撃ちまくります。
「コレはヤバい!」
バルチック艦隊は逃げようとしました。
しかし司令長官のロジェストヴェンスキーが日本海軍の攻撃で大けがをしてしまい、指揮をすることができなくなってしまいました。

帰ることはかないませんでした。
大混乱したバルチック艦隊はそのまま日本海軍に惨敗してしまいました。
日本が日本海海戦で勝ったのは丁字戦法のおかげだけではない
丁字戦法で日本軍が勝ったのは東郷ターンだったり、秋山真之の「丁字戦法どう?」という提案がきっかけです。
じつはそのほかにはバルチック艦隊が疲労に疲労を重ねていたことも日本が勝てた理由として大きいです。
日本にたどり着いたとき、バルチック艦隊は疲労困憊で士気も低く、戦う前からすでにボロボロでした。
ロシア帝国からはるばる日本にやってきたバルチック艦隊。
イギリスの思惑のため満足に補給もできず、当然ながら士気は低いし、艦の底には整備不良による牡蠣がびっしりこびりつき……。
紆余曲折の末、ロシア~日本にたどりつくまでなんと半年以上もかかっているのです!
日本海海戦は、バルチック艦隊にとって重いハンデ付きの戦いでした。
日本が日本海海戦で勝利を収めたのは、丁字戦法の効果だけではありません。
このことを多くの人はすぐに忘れてしまいました(もしくは考えもしなかった)。
「誰にも負けない! うちらめっちゃんこ強い!」
そんな思い込みを民衆や一部の軍人に抱かせてしまったんですね。
黄海海戦につづき日本海海戦での艦隊決戦による勝利の記憶が、のちに日本を太平洋戦争へと導いていくことになります。
たしかに、日本海軍ががんばったのは本当のことです。
いくら大勝利だったとはいっても、日本軍側にも死傷者は出ています。
有名人の事例を述べると、このとき「日進」に乗って参加していた若き山本五十六は左手の指を二本失っています。
でも、日本海軍のがんばりの裏側でバルチック艦隊も必死だったことを、ぜひ覚えていてあげてください……。
バルチック艦隊の司令長官だったロジェストヴェンスキーは、ロシアに帰国してから叩かれに叩かれまくったらしく……。
ご家族もたいへんな思いをなさったようなんですね。
ロジェストヴェンスキー提督は力を尽くして無茶な命令を実行したのに、名誉が奪われて叩かれることになるなんて、いまこのページを必死に書いているわたしとしても不憫に思えてなりませんよ!
「丁字戦法」は現代ではもう使われていません
丁字戦法が最後に使われたのは太平洋戦争です。
戦後、丁字戦法は使われることがなくなりました。
遠距離攻撃の方法が大きく発達して、戦艦VS戦艦の戦闘をする必要のなくなってしまったことが理由です。
- 空母で連れてきた飛行機を使って敵を攻撃するほうが安全だし、確実である。
(※戦艦同士の大砲の撃ち合いは、弾を相手に当てるのがめちゃくちゃむずかしいのです!) - ミサイルの技術が発展し、戦艦の大砲に頼らなくても遠くの敵をラクに確実に攻撃できるようになった。
わざわざ敵のそばに行って攻撃するのはふつうに危険ですから。
遠くから攻撃できる手段があるならそちらを選択するのが人情ってものです。
つまり、丁字戦法というよりも戦艦の存在が時代遅れになってしまったのです。
…………せっかくメールも電話も発達して艦同士の連絡がしやすくなったころには、すでに戦艦そのものが「オワコン」になってしまっていたのでした。
丁字戦法については以下のYouTube動画がとてもわかりやすくておすすめです。