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山本五十六「やってみせ」の出典と全文を掲載。壁紙も配布中。

2022年1月26日

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山本五十六「やってみせ」の出典と全文を掲載。壁紙も配布中。

2022年1月26日

太平洋戦争開戦時の連合艦隊司令長官として有名な山本五十六。
人材育成の名言から子育ての格言としても勉強になるといわれている「やってみせ」の出典について紹介します。

まず「やってみせ」の出典は、だれかに書き送った手紙や著作のなかにあるわけではなく、山本五十六本人がよく語っていた言葉そのものです。

山本五十六の死後、彼に戒名を授けた僧侶・橋本禅巖(はしもと ぜんがん)和尚が昭和50年代のはじめにおこなった講演で「山本さんが(やってみせ~と)よく申されていた」と語られたことが記録に残っているからです。

山本五十六の名言「やってみせ」について知っている僧侶・橋本禅巖(はしもと ぜんがん)和尚とは

橋本禅巌和尚は、山本五十六の故郷・新潟県長岡市御山町(おやままち)にある堅正寺(けんしょうじ)の初代住職です。

山本五十六ゆかりの寺である堅正寺とは

堅正寺は、山本五十六の親友である二代目・駒形宇太七(こまがた うたしち)が私費で建てた禅寺です。

駒形宇太七は、新潟県長岡の商人一家の長男です。
父親も同名の「宇太七」なので、五十六の親友であった彼のことは「二代目 宇太七」といいます。
元の名前は「佐吉」でしたが、1922年(大正11年)に家督を継いだときに父親と同じ「宇太七」に改名しました。
生まれは1883年(明治16年)10月ですので、改名は39歳のときですね。

山本五十六は1884年(明治17年)4月4日生まれなので、宇太七のほうが一学年お兄さんです!
漫画描きでイラストレーターのわたしは人物同士の関係性を考えるのが好きなので、ついついこういった部分の歳の差を気にしてしまいます。
ちなみに五十六の親友として有名な堀悌吉は1883年(明治16年)8月16日生まれです。
堀悌吉も五十六より一つ年上……! ときめく!!

父親の駒形宇太七は1856年(安政3年)11月22日生まれで、「株式会社長岡米穀株式取引所」の理事を務めていました(当時の表記は「株式會社長岡米穀株式取引所理事」)。
母はトキといい、1860年(万延元年)4月生まれです。
妻の名前はスミ。1900年(明治33年)4月生まれの新潟出身の女性です。
二代目 宇太七は、キヨという女の子を1909年(明治42年)6月に、宇太郎という男の子を1922年(大正11年)8月にもうけています。

二代目 宇太七は1883年(明治16年)10月生まれですから、1900年(明治33年)4月生まれの奥さんスミとは17歳差の歳の差夫婦です。
長女キヨが1909年生まれであることを考えると、スミは後妻だった可能性が考えられるかも……。

二代目 宇太七はのちに「長岡商事」「青島洋行株式会社」の取締役になります。
さらに長岡證券株式会社の監査役を務め、釀造業もおこなっていました。
かなり仕事熱心なバリバリのビジネスマンです。

宇太七が経営していた長岡商事は、広島県にある同名の株式会社とはまったく別の会社です。

まだ13歳だったころの五十六が父・貞吉から「死んだ孫の代わりに軍人になってくれ」といわれたとき、五十六の海軍兵学校に行く決意を聴いたのが二代目 宇太七です。
五十六の将来の夢は、東京の日比谷図書館に入って歴史を勉強することでした。
しかし仲よくしていた10歳年上の甥・力が結核で病死したことによって、海軍の軍医をめざしていた彼の代わりに軍人になるように、と父が五十六に要求したのです。

中学校の近くにあった栖吉川(すよしがわ)の土手で、宇太七と五十六はお互いの夢を語り合いました。
やせ型だった五十六が「海兵に行く」というのを聴いて、宇太七は止めました。
しかし五十六はひるまずにいい返します。

「おれは薩摩の海軍をやっつけるんだ」

このときの海軍は戊辰戦争の名残で、勝者である薩摩藩と長州藩の出身者たちばかりが要職を占めていたんです。
それと比べて敗者である新潟県の長岡はすっかり貧乏な町になっていました。
長岡藩の家老家である山本家も断絶させられています。

五十六がのちに継承することになるのが、この山本家です。

五十六の決意に満ちた声に、宇太七も感じるものがあったのでしょう。

「だったら行けよ。おれは一生、きみを応援する!」

そう答えて彼を送り出します。

大人になった宇太七は新潟県の多額納税者に名を連ねるまでに稼ぎましたが、決して金の亡者ではありませんでした。
彼は「商人にこそ座禅が必要だ」と考えて、禅道場をつくることを発案、実行しました。

宇太七は堅正寺の建立にも熱意をもって取り組んだようです。
橋本禅巖を住職としてみずから招きました。
このときの橋本禅巖は新潟県南魚沼市の雲洞庵(うんとうあん)で、修行僧の指導役を務めていました。
雲洞庵の当時の住職が橋本禅巖を宇太七に紹介したのです。

寺の建物が完成し、住職として橋本禅巖がやってくることも決まり、いよいよあとは仏様をお迎えするだけ――となったとき、寺の建立をがんばっていた宇太七はなんと急死してしまいます。

跡を継いだのは宇太七の二番目の弟である駒形十吉氏です。

十吉は1901年(明治34年)2月4日生まれなので、宇太七より18歳年下の弟です。
歳の差はありますが、母は宇太七と同じトキなので同腹の兄弟です。

十吉は堅正寺の護持のほか、宇太七の事業も継承します。
銀行経営でとくに手腕を発揮したほか、美術品の収集でも功績をあげました。
十吉がコレクションした美術品は「駒形十吉記念美術館」で公開されています。

戦後、十吉が経営する会社の社員研修に堅正寺は使用されました。

堅正寺はいまもちゃんと残っています。

山本五十六の友人だった駒形宇太七のプロフィールが知りたい人はここのサイトがいいよ

『名古屋大学大学院法学研究科』のサイト

こちらのサイトでは、駒形宇太七のプロフィールがまとめられています。
『名古屋大学大学院法学研究科』のサイトなので、信頼性と権威性と専門性はめちゃくちゃ強いよ!

『一般社団法人 駒形十吉記念美術館』公式サイト

駒形宇太七の二番目の弟である駒形十吉氏がコレクションした美術品は、ここの美術館で一般公開されています。
住所は「新潟県長岡市今朝白2丁目1番4号」ですって。
お近くの人は行ってみて!
わたしも新潟旅行するときには行きたいな~!

山本五十六の理解者だった橋本禅巖和尚が指導役をしていた寺院は雲洞庵(うんとうあん)!

堅正寺に来る前の橋本禅巖和尚が、修行僧の指導役をしていた寺院である『雲洞庵』はいまもちゃんとあります。
住所は「新潟県南魚沼市雲洞660」。
お近くの方は行ってみてね。
わたしも新潟旅行したあかつきには行くよッ……!!

聖地巡礼? 少年時代の山本五十六と駒形宇太七が語り合った川……!

少年時代の五十六と宇太七が語り合った川だよー! 胸熱ッ!
栖吉川(すよしがわ)は、五十六の通っていた中学校の近所にありました。
一種の「聖地」なのに公式サイトなどはないんですねえ。
とりあえずウィキペディアへのリンクを貼っておきます。

山本五十六の理解者だった橋本禅巖和尚

橋本禅巌は五十六より10歳も年下で大分県出身でしたが、五十六のよき理解者でした。
五十六が戦死したあと、彼に戒名を授けています。

授けた戒名は「大義院殿誠忠長陵大居士」です。
この戒名に含まれている「長陵」は、長岡の別称です。

書道を得意とする山本五十六は、その「号名」として、「長陵(ちょうりょう)」と中年期に名乗っていたことがあります。
これ以外にも使った号名はいくつかありますが、そのどれもが故郷である新潟県長岡をイメージさせるものばかり。
五十六は故郷の新潟県長岡市をとても愛していたんですね。
橋本禅巖はその思いをよく知っていたからこそ、長岡を意味する「長陵」の入った戒名をつくったのでしょう。

「号名」はわかりやすくいうとペンネームのことです。

橋本禅巌が山本五十六と「やってみせ」について語ったのは、昭和50年代のはじめにおこなった講演でのことです。

「山本さんがやって見せ、説いて聞かせて、やらせてみ、讃(ほ)めてやらねば、人は動かぬと、良く申されていましたが、仕事を教えるのでも讃めてやると云うことが、秘訣のようであります。
讃めると云うことは、馬鹿な奴をおだてると云うことではなく、共に喜ぶことなのであります」

稲川明雄[2009]『新潟県人物小伝 山本五十六』
原出所:『橋本禅巌講義録 正法眼蔵四摂法之巻模壁(しょうほうげんぞうしせつほうのまきもへき)』

山本五十六が連合艦隊司令長官になる前、日独伊三国同盟を結ぶべきか否か? ということで、日本中の意見が真っ二つに割れていました。
陸軍のほか、マスコミに踊らされた民衆たちは「同盟を結ぶべきだ」と考えていました。
その熱狂っぷりは現代社会から考えられないほどで、「アメリカとの戦争を避けるためには同盟を結ぶべきではない」と主張していた山本五十六、米内光政(よない みつまさ)、井上成美(いのうえ しげよし)は暗殺の危険があるほどでした。

このとき彼らが感じていた身の危険はかなりガチです。
三人は遺書を書き残しています。
さらに五十六の家には機関銃を持った憲兵が護衛としてやってくるほどだったのですから。

五十六は当時ついていた役職「海軍次官」を辞める覚悟で故郷である新潟県長岡に帰りました。
彼が向かったのは堅正寺。
寺にこもったのです。

海軍次官は海軍省のNO.2ですので、簡単には辞められない役職ですね。
なのに寺にこもるなんて、「三国同盟締結反対」に対する五十六の覚悟が伝わってきますよ!
ちなみに海軍省は海軍全体の方針を決める省(役所)です。

堅正寺にやってきた山本五十六を、橋本禅巖は追い返すことはせず、温かく迎え入れました。
かといって五十六の嘆きを延々と聞いて慰めたわけではありません。

ふたりは縁側に置いたテーブルをはさんで差し向かいに座りました。
口をついて出てくるのは、さして重要ではないたわいもない話題ばかり。
銃弾なき戦場ともいえる場所で「同盟締結反対」を叫んで「条約反対派三羽ガラス」とさえ指差された五十六にとって、その会話はどれほどの癒しになったことでしょうか。
堅正寺は五十六の親友・二代目 宇太七の思いが眠る場所でもあります。
五十六の心をくみつつも土足で踏み荒らすことはしない。
僧侶というおおくの人の哀しみに触れる立場だからこそできた、橋本禅巖のヒーリングです。

もしもこのときの五十六が橋本禅巖に対して、人材育成のために心がけたいこととして「やってみせ」と語っていたのならなんだか泣けてきますね……。
すでに育成済みであるはずのいい大人である陸軍やら情報リテラシーの低い民衆たちが、「やってみせられなかった」結果として目先のことにとらわれて「三国同盟結ぶべき!」と主張しているのですから。
また、矛盾しているようないい方になってしまいますが、「やってみせられなかった」結果であると同時に、誤った思い込みを見本として「やってみせ」られてしまっていた人々ともいえるのでは、という気もするのが複雑なところです。
このときに同盟締結を主張していた人々は日清戦争と日露戦争での日本軍の勝利に酔った人たちでしたので……。
勝利に対する心地よすぎる記憶が、「強い日本はアメリカと戦争したって勝てる!」と思いこませてしまったんですね。

山本五十六の名言「やってみせ」の全文とは

「やってみせ」と明言をいう山本五十六のイラスト
山本五十六の名言「やってみせ」はすばらしいです。
70年以上も前に、現代にも通ずるリアルな言葉を遺しちゃうなんてすごい……!

山本五十六の名言「やってみせ」の原文

やってみせ
言って聞かせて
やらせてみ
誉めてやらねば
人は動かじ

話し合い
耳を傾け承認し
任せてやらねば
人は育たず

やっている
姿を感謝で
見守って
信頼せねば
人は実らず

山本五十六の名言「やってみせ」の現代語訳(※鍋弓わた作成)

まずは自分がお手本を見せてあげよう。
そのやり方を丁寧に説明し、相手に聞かせてあげよう。
そして相手がそれに取り組んだら誉めてあげよう。
そうしてやらないと人は動いてくれない。

相手と話し合うことをしよう。
相手の意見に耳を傾けて、否定せずに認めてあげよう。
「このようにしてみたい」という相手のやり方にまかせてみよう。
そうしないと人は育たない。

たとえ完璧でなかったとしても、相手が仕事をしている姿を感謝の気持ちで見守ろう。
信頼しないと、人は実らない。

山本五十六の名言「やってみせ」の壁紙

「やってみせ」の壁紙をつくりました!
背景はザ・日本海軍を感じさせる紺碧の海です。
言葉は優しいのに厳しさを感じさせる波……!
「男の修行」感があります。

この壁紙は個人のパソコンやタブレット、スマホの中で壁紙として使う場合はどうぞ自由にご利用ください。
いろんなサイズをご用意しています。
パソコン、タブレット、スマホで大まかにわけていますが、デバイスにかかわらずお好みのサイズのものを使ってください。
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山本五十六の名言「やってみせ」の壁紙:パソコン用

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山本五十六の名言「やってみせ」の壁紙(パソコン用)のサンプル
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山本五十六の名言「やってみせ」の壁紙:タブレット用

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山本五十六の名言「やってみせ」の壁紙:スマホ用

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山本五十六の名言「やってみせ」の壁紙(スマホ用)のサンプル
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山本五十六の名言「やってみせ」の壁紙(スマホ用、androidホーム画面向け)のサンプル
山本五十六の名言「やってみせ」の壁紙(スマホ用、androidホーム画面向け)のサンプルです。

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androidのホーム画面はスライドすると壁紙もスライドするので、それに対応したサイズで作りました。

山本五十六の名言「やってみせ」の出典は本人の言葉そのものだった

人材育成や子育ての名言・格言として有名な「やってみせ」。
だれかを励ますために送った手紙や著作から来ているのかしら? と思って調べてみましたが、山本五十六の理解者であった橋本禅巌和尚によると、山本五十六本人がよく語っていた言葉であるということです。

だれか特定の人に向けて「やってみせ」と指導していたわけではなくて、人材育成の哲学として山本五十六が自身の考え方を述べたものだということがわかりました。

橋本禅巖は新潟県長岡の堅正寺の住職ですから、ふだんは山本五十六と四六時中顔を合わせることなんてなかったはずです。
(現代と違ってビデオ通話もメールもチャットアプリもありませんからね~)
いくら理解者とはいえ限られた時間をともに過ごしただけの橋本禅巖が「山本さんがよくおっしゃっていた」と印象に残るくらいには、五十六はしばしば「やってみせ」の哲学を語っていたのでしょう。
五十六の「やってみせ」に対する思いの深さ、部下やのちの世代の人たちをこのように育てたいと強く思っていたことが伝わってきます。

この「やってみせ」に通ずる山本五十六の哲学として、興味深い名言がもうひとつあります。
それは「イマドキの若者はー! なんて叩いちゃいかんよ。若者の可能性をちゃんと見てあげるんだよ」というものです。

実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな。
なぜなら、われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ。
今どきの若者は全くしょうがない、年長者に対して礼儀を知らぬ、道で会っても挨拶もしない、いったい日本はどうなるのだ、などと言われたものだ。
その若者が、こうして年を取ったまでだ。
だから、実年者は若者が何をしたか、などと言うな。
何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ。

「実年者(じつねんしゃ)」は、経験ゆたかな年代の人々、という意味です。
具体的には壮年の次で老年の前くらい。
50~60代あたりのことを指します。
日本海軍の上層部的にはまさに働き盛り! ですね。

「実年者は、今どきの若い者などということを絶対に言うな」「何ができるか、とその可能性を発見してやってくれ」……なんと心の広いせりふでしょう!
「われわれ実年者が若かった時に同じことを言われたはずだ」もポイントです。

天下人といってもいいくらいに出世したにもかかわらず、下の者が過ごしているであろう世界観や、自分が通ってきた道のつらかったことも山本五十六は覚えているんですね。
大人になると子どもだったころの気持ちを忘れてしまうように、歳を取ると自分が若者だったころの気持ちを普通の人はついつい忘れてしまいがちです。
しかし山本五十六はそうではなかったんです。
ときがたっても、「若いときはこうだったから、歳を重ねたいまはこうなっていてこのような役目を果たすべきだ」――と思えるほどの余裕や視野の広さがありました。
自分のことを棚に上げて、若い人々を叩くだけ……なんて愚かな真似はしない。

……ただ、こういった言葉を五十六がわざわざ残しているあたり、当時の海軍内部(または五十六が見聞きしていたであろう人間関係)でも「イマドキの若い者はー!」と思考停止状態でぶつくさいう人々が一定数いたのだとも考えられます。
年長者が若者に対して思うことは現代社会とあまり変わらないよい見本ではないでしょうか。
じつに興味深いことです。

そういった「実年者たち」の文化に染まらず、「そんなことをいってはいけないよ」と冷静に諭す五十六。
これぞ理想的な年長者の姿です。
この考え方のベースがあってこその「やってみせ」なんですね~。

「やってみせ」についても、すばらしい格言だと筆者も思います。
同時に、おのれがどのような見本になるか?
何をどのように「やってみせ」るか、ということがたいへん重要だとも感じます。
誤ったお手本になってしまうと、教えられた方がのちのち苦労することになります。
日清戦争と日露戦争の勝利に酔った勢いで三国同盟締結→アメリカと開戦する……その道をたどっていたかつての大日本帝国の姿なんてそのよい例ではないでしょうか。

小さな子どもを絶賛育児中のわたしとしては、「やってみせ」の精神を忘れずに育てていくことが目標です。
お手本を見せてあげることや誉めてあげること、まかせてみたり信頼することを意識していきたいです。
さらに、少しでもよきお手本になれるように向上心を持ちながら日々を過ごさねば……とも。
間違っても「イマドキの若い者はー! 現代っ子ってやつはー!」などとグチグチいう母親にはならないように気をつけます……!

山本五十六がなぜ人気なのかを知りたい人、どんな人だったのかを知りたい人はこちらのページも読んでみてください~。

わたし 鍋弓わた が描いた漫画(同人誌)

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鍋弓わた

美と歴史と物語を愛するイラストレーター。
同人サークル『極星堂きょくせいどう』で歴史漫画も描いています。
大阪生まれの奈良在住。
一児(男の子)を抱えながら、絵描き生活と歴史生活を楽しんでいます。

趣味は2003年からおこなっているウェブ制作。
気がつけば今年で19年目。

このブログの近代史や軍事のページでは、艦船模型雑誌で作例や考証記事を書かれている艦船模型プロモデラー 渡辺真郎(HIGH-GEARed)氏をアドバイザーとしてお招きしています。
※戦争賛美はしていません※

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