歴史漫画を描いているわたし 鍋弓わた がいま構想中の歴史ものではユダヤ人キャラクターが出る予定です。
リアリティのある歴史漫画には、史実を調べることが必要です。
そんなわけで現在、ユダヤ教(judaism)について勉強しています。
ユダヤ教はなぜできたのか。
その理由はユダヤ教成立当時のイスラエル人(のちのユダヤ人)にとって、宗教の機能的な力が必要だったからです。
ここでいう”宗教の力”は「奇跡を起こせる」といったスピリチュアルな
その宗教を信じているか・信じていないかで人を区別したり、「自分はその宗教の信徒なのだ」と実感することによって起こる精神的な変化をいっています。
ユダヤ教が成立したのはいつで、開祖はいったいだれだったでしょうか。
ユダヤ教でない人々の立場――いわゆる”後世の歴史家”かつ世俗的な視点――から考えると、『出エジプト』をおこない、ユダヤ教の聖典『トーラー』の著者とされるモーセが開祖と考えて申し分ないでしょう。
「開祖はだれ?」とユダヤ教において定義するのは本来むずかしいことです。
ユダヤ教は『旧約聖書』を信じるならば天地創造のときから始まります。
人間の歴史が始まったときには唯一神『ヤハウェ』が崇拝されていた……となっているのです。
そこをあえてユダヤ教徒でない者の視点で、『旧約聖書』のスピリチュアルな(またはファンタジックな)エピソードをすべて除いて考えるならば、モーセが開祖であるといえます。
紀元前16世紀または紀元前13世紀ごろ、奴隷にされていたイスラエル人(のちのユダヤ人)を連れてエジプト王国を脱出したモーセ。
彼らは40年にわたって荒野をさまよいます。
この苦難の時代を乗り越えるには、”宗教”という存在そのものの力が必要でした。
ユダヤ教徒でもユダヤ人でもないわたし 鍋弓わた は、ユダヤ教・ユダヤ人および宗教を貶める気はいっさいありません。
何が正しいことなのかを決める道徳心の物差しを持つことや、おのれが「何かによって生かされているかもしれない」という謙虚な宗教心は、人間が人間らしく生きるために必要なものです。
過去はもちろん、いまを生きるユダヤ人の方々を否定するつもりもありません。
かつて一生懸命に生きた人々、いま一生懸命に生きている人々を、わたしは肯定したいです。
そのためには史実を知り、彼・彼女たちがいったいどのような世界観を持って生きていたのかを、彼・彼女たちの立場になって考える必要があります。
「ユダヤ教の開祖はモーセだ」とここでは述べていますが、ユダヤ教の教会施設であるシナゴーグ、律法を中心とした考え方のベースの成立はモーセの時代ではありません。
シナゴーグはバビロン捕囚時代に、律法を中心とした考え方のベースは第二神殿時代に始まりました。
宗教の力と機能とは?宗教を信じることで得られる利点を考えてみよう
まず、宗教の現実的な力と機能的なメリットを考えてみましょう。
宗教を信じることによって得られる利点をおおまかにあげると、
- 社会の一般的な価値基準で幸せになれない人々に幸せを与える(幸福感を覚えさせる)
- 自分の悩みに一定の答えを出しやすくなる
- 宗教の信者と信者でない者を区別し、コミュニティに結束力を与える
です。
これらのポイントは、ユダヤ教の歴史を考えるうえで非常に重要です。
宗教は社会の一般的な価値基準で幸せになれない人々に幸せを与える
宗教の力においてひとつ大きなものは、社会の一般的な価値基準で幸せになれない人々に幸福感を与えられることです。
たとえば、現在の日本ではいわゆるお金がない人は「幸せではない」と一般的にみられます。
この”一般的に”というのがポイントで、価値基準なんてじつにあいまいなもの。
美人の基準だって国や時代によってまったく違うでしょう?
それと同じで、何が幸せで何が不幸かなんて、それこそ社会の雰囲気でなんとなく決まって、なんとなく漂っている価値基準なのです。
ところが、一般的な価値基準や世間の雰囲気で「不幸だ!」と断定される人々は後を絶ちません。
一方的に断定された彼・彼女たちは、「わたしは不幸なんだーーー!」と思い込まずにはいられないわけです。
このように「自分は不幸だ」と思っている人々に「お金がなくったって幸せだよ!」と、社会や世間とは違う新たな価値基準を与えるのが宗教の現実的な機能です。
もっともらしい理由づけをおこない、むしろお金なぞに左右されない幸福こそ本当の幸福だ、と説きます。
「お金がなくても幸せなんだ」と新たな価値基準を与えられた人々は、社会の価値基準では不幸認定である現実、お金がない事実は変わっていないにもかかわらず、そのままの状態で「幸福感」を覚えることができるのです。
本当の幸せは、社会的地位で簡単に断定できるものではない、とわたしは思います。
はたから見て「つらそうだ」と思っても、その人自身が「幸福感」を感じているのなら周りがとやかくいうことではないですよ。
本来はね。
「お金があることこそ幸せ」とされる社会で「本当の幸せはお金ではない」と説くのは、社会の基準に反している――反社会的と表現することもできますね。
『完全教祖マニュアル』では、そのへんの事情について「宗教は反社会的なものだ」としてわかりやすく書かれています。
社会は常に正しいわけではありません。そして、社会の提示する価値基準では「負け組」となってしまう人が必ず存在します。そこであなたがすべきこととは、社会に反する新しい価値基準を提唱し、「負け組」の人を「勝ち組」へと変えてハッピーにすることなのです。つまり、あなたが石を投げたいと思う人たちこそ、あなたが救うべき人たちなのです!
架神恭介、辰巳一世[2016]『完全教祖マニュアル』
上の引用では、【あなた】は「教祖」だと思ってください。
この本は『完全教祖マニュアル』のタイトルのとおり、「教祖になろうよ」と読み手に語る(自称)実用書なので、こういった表現になっています。
社会の常識で幸せになれない人々に対し、「そうじゃないんだよ、本当はあなたたちのほうが幸せなんだよ」と新たな価値基準を与えるのが宗教の役目です。
新たな価値基準を受け入れて宗教の信者になることで、社会状況が変わっていなくても、かつて悩んでいた人々はそのままで幸せになれます。
はたから見るとただの貧乏人であったとしても、その人自身は「わたしって幸せだなあ」と心理的に救われるのです。
たとえば、新興宗教○○会はいまでこそとある政党の支持母体ですが、最初からそうだったわけではありません。
まだまだ勢力が弱かったころは「貧乏人と病人と集まりだ」といわれて世間から叩かれていたそうですよ。
つまり、”そういうこと”ですね。
わたしは宗教を貶めるつもりはいっさいありません。
新たな価値基準を得ることによって救われる人々がいるのは事実です。
宗教を信じると自分の悩みに一定の答えが出しやすくなる
宗教は道徳心の物差しであり、おのれのなかの価値基準を決める根拠となるものです。
生きているとザクザクわいてくる、答えを出しづらい問いに一定の答え、回答、考え方を与えてくれます。
愛情って何?
本当の幸せってどういうこと?
ムカつくあいつに仕返しをしたい!
愛とお金とどちらが大事なの?
恋人と仕事のどちらが大事なの?
結婚後に実家といまの家庭のどちらをより優先すべき?
すべてを”両立”するとしてもその割合は? ――などなど。
こういった疑問には、絶対的な正解はないことが多いです。
適切な回答はその人の状況によって違うでしょう。
絶対的な正解が存在しないから、人は悩みます。
人は悩むことがキライです。
「苦悩する」という言葉があるように、悩むのは苦しいことなのです。
苦しいことは回避したいです。
「こうすれば正解だよ、理由は〇〇だから」と誰かに教えてもらえるほうがよっぽどラクです。
身近な例をあげると、選挙ごとにいろんな政治家や政策について調べて投票先を選ぶのってめちゃくちゃ疲れませんか。
毎日忙しいのにそんなことに時間を取られたくないし、わずらわされたくないです。
わたしは選挙があるたびにとても疲れます。
こんなとき、
……って信用できる人に教えてもらえたらラクだな~とよぎることがあります。
たとえ話であり、ちゃんと自分で選んで投票していますよ!
できれば”悩みごと”の数や機会は減らしたいのが人情です。
悩みは信用できる”専門家”に丸投げしたほうがラクに早く確実に解決できます。
悩みから早く解放されるのは魅力的だし、「うーんうーん」とうなりつづけるよりもよっぽど有意義に生きられそうではありませんか。
精度の高い回答だってもらえるでしょう。
選択を間違えることも減りそうです。
人生に失敗することなんてなくなるだろう……とさえよぎるかも。
人間には考える脳があるけれど、思考を放棄して考えない方が生きやすいのです。
一般論としては思考停止のほうが生きやすいです。
しかし宗教を信じる人々すべてが苦悩しない、思考停止しているなどとわたしはいっているわけではありません。
宗教で得た価値基準にしたがい、社会や現実との矛盾に苦悩しながら生きる人がいることも知っています。
信徒ならば宗教で得られる価値基準を、宗教に頼らずにおのれでイチから構築していくのは恐ろしくたいへんだ、ということをここではいっています。
このあたりの心理は、『完全教祖マニュアル』にある以下の解説が参考になります。
信仰を持った人に「信仰を持って良かったことはなんですか?」と尋ねると、「しっかりとした価値観が持てるようになった」「自分の中に一本芯が通ったから、ブレることがなくなった」「何かに迷っていても、自分には宗教という指標があるからそこに立ち戻れる」といった返事がよく返ってきます。これは言ってしまえば、「自分で考えることが減ったのですごく楽だ」ということです。楽というのはハッピーなのです。
架神恭介、辰巳一世[2016]『完全教祖マニュアル』
実際、これは正しいです。
わたしはかつて入れられていた新興宗教の○○会の集会で、「○○会に入っていることの利点」として、ここであげられる理由をイヤというほど聞いてきました。
「宗教に入っていない人はどうやって考えて生きているんだろうねえ?」と、○○会を敬虔に信じていた母親に聞かされたものですよ。
○○会では”迷ったときに立ち戻れるポイント”として、教祖ともいえる〇〇氏との「”原点”を持て!」と口酸っぱくいっていたものです。
まあ、その原点を持てるほど信仰心に覚醒できなかったので、わたしはその新興宗教○○会を辞めてしまったわけですが……。
宗教の信者と信者でない者を区別し、コミュニティに結束力を与える
宗教で結ばれた共同体、コミュニティの結束力はとても強いです。
それは宗教の決まりの多くが日常生活に根差したものだからです。
ふだんの生活を過ごすだけで「自分は〇〇教の信徒なんだ」と実感できるシステムが宗教の決まり(戒律)です。
自分が決まりを守っているかたわらで、そのような決まりに縛られずに生活を送っている”外部の人”を見ると、よりいっそう強く「自分は〇〇教の信徒なんだ」と感じることができます。
宗教の戒律は多岐にわたるものです。
- 決まった時間にお祈りをしたり、
- 決められた食べ物を食べてはいけなかったり(食物規制)、
- 決められた時間に飲食を絶たねばならなかったり(断食)、
- 決まった曜日は働いてはいけなかったり(安息日)
するわけです。
たとえば「豚を食べてはいけない」と宗教の戒律で決められている人は、豚肉を食べる人を見るたびに「ああ、わたしは〇〇教なんだ」と感じます。
このようなことが日常に毎日毎日しょっちゅう起これば、否が応でも「わたしは○○教の信徒だ」と自覚を促します。
この自覚の結果として、信徒たちはコミュニティである教団に帰属意識を持ちます。
ひとりひとりが帰属意識を持ちあうと、コミュニティの結束力は必然的に強くなっていきます。
同じ価値観を共有しあうもの同士の集まりなわけですからね。
「本当のわたしをわかってくれる人たちはここにしかいない」と、教団から離れられなくなります。
この原理は、元・新興宗教○○会の者としてはとても納得ですよ。
宗教に入っている人間は、一見そうとは見えなくても、同じ宗教でない人(無宗教も含む)とはどこかでかならず話が合いません。
倫理観であったり、価値観にズレがあるからです。
「ああ、この人は○○会じゃないんだよなあ」なんて思いながら会話をするのは○○会の人間にとってよくあることです。
表面的な娯楽の話題などではわかりづらいでしょうが(信徒としても話を合わせやすいですし)、人生観の話などを振ってみると”外部の人”自身にも、「宗教をしている人とは決定的なポイントで話が合わないのだ」とよくわかると思いますよ~。
『完全教祖マニュアル』においても、宗教の戒律、ときには異常にさえ見えるルールは、教団の結束力を強めることにつながると述べられています。
(前略)内部の人間にとっては「まっとうな行為」なのです。であれば、内部の人たちは、内部で固まらざるをえませんよね。同じ価値観を共有してくれるのは内部の人間しかいないんですから。よって、外部からの異常視は教団の差別化に繋がり、内部の結束を強める結果となるわけです。
架神恭介、辰巳一世[2016]『完全教祖マニュアル』
ユダヤ教ができた理由は宗教の機能的な力から考えるとよくわかる
宗教の機能的な力をおおざっぱにあげると以下のとおりであると述べました。
- 社会の一般的な価値基準で幸せになれない人々に幸せを与える(幸福感を覚えさせる)
- 自分の悩みに一定の答えを出しやすくなる
- 宗教の信者と信者でない者を区別し、コミュニティに結束力を与える
これらすべての力が、迫害を受けてきたユダヤ人には必要でした。
だからユダヤ教が生まれたのです。
一般的な価値基準では「不幸だ」と思わざるを得ないユダヤ人の歴史
ユダヤ人の歴史をひもとくとき、迫害の歴史と向かい合わずにはいられません。
だから、ユダヤ教は生まれました。
宗教が「不幸にさえ意味づけ可能である」機能を持つからこそです。
『約束の地』とされるイスラエルに居住しても居住しても、困難に見舞われた挙句、やむを得ずそこを離れねばならなくなることを繰り返してきたユダヤ人(ヘブライ人、イスラエル人)たち。
じつはいま現在のイスラエル国は、ユダヤ人にとって四度目の『約束の地』居住です。
ユダヤ教の事実上の開祖であるモーセがイスラエル人(ヘブライ人のこと。のちのユダヤ人)を連れてエジプト王国を脱出したとき、彼らは奴隷の身分でした。
この時代からすでに迫害されていたのですね。
しかも『出エジプト』をおこなってすぐに安住の地にたどり着けたわけではありません。
彼らは40年もの間、ひたすら荒野をさまよいます。
気を確かに持ちながらこのつらさを受けとめるには、宗教の機能的な力が必要だったのです。
『十戒』をはじめとする律法を与えてくださった神を信じることで困難を受け入れたユダヤ人たちは、不屈の精神を保ちつづけました。
ついには『約束の地イスラエル』にたどり着けたのです。
『出エジプト』~約束の地にたどり着くまでの期間は、彼らの宗教が『ユダヤ教』としてがっちり完成していたわけではありません。
ユダヤ教の教会施設であるシナゴーグはバビロン捕囚時代に、律法を中心とした考え方のベースは第二神殿時代に始まりました。
どちらもモーセの時代よりはるかにあとになってからのことです。
ユダヤ人が離散(ディアスポラ)することになったのは西暦70年のとき。
そうして彼らは国を持たない民として、気の遠くなるほど長いときを耐え忍ぶことになります。
ユダヤ教徒でないわたしたち外部の人間からすれば、「世界各地に散らばって迫害されるとは、なんてかわいそうな人たちなんだろう」と思ってしまいます。
そう、そんな「かわいそうなこと」――不幸だとしかいえない現実でさえ、宗教の力さえあれば意味を与えることができるのです。
つらいことがあっても「これは神の思し召しなのだ。神のなさることは人間には計り知れないものなのだから、いまは耐えよう」と、現状に意味づけできます。
すると、理不尽な不幸でさえ、途端に「意味ある人生の1ページ」と化します。
自暴自棄にならず、その試練を乗り越えるために冷静に対処することさえ可能になるのです。
ただし、ユダヤ人の方々にとってホロコーストは別です。
筆舌に尽くしがたいほど悲惨なこの出来事は、「神の思し召し」などと軽々しくいってはならないものです。
迫害と離散を乗り越えるためには結束力が必要だった
宗教の戒律、ルール、決まりは、コミュニティの結束力を強化するものであると述べました。
ユダヤ教は律法と実践を重視する宗教です。
「豚肉を食べてはいけない」「土曜日は安息日」といった、日常に根差した決まりがしっかりと存在しています。
そう、日常生活を送るだけで帰属意識をちゃんと持てるようになっているのです。
ユダヤ教の開祖はあえてわかりやすくいうならばモーセである
2021年11月19日発売の『こども世界の宗教 世界の宗教と人々のくらしがわかる本』(監修は宗教学者 島薗 進 先生)では、ユダヤ教の開祖はモーセであるとされています。
ユダヤ教ってどんな宗教?
・開祖:モーセ
・成立:紀元前1280年ごろ
・信仰対象:ヤハウェ
・経典:『ヘブライ語聖書』『タルムード』
・施設:シナゴーグ
・聖地:エルサレム(嘆きの壁)
・信徒数:1478万人※
・特徴:唯一神「ヤハウェ」を信じる一神教。ユダヤ人は神さまから選ばれた民だと考え、預言者の教えやラビの導きにより信仰生活を続けてきた※出典:『ブリタニカ国際年鑑2021』
島薗 進[2021]『こども世界の宗教 世界の宗教と人々のくらしがわかる本』72p
*この引用文におけるリストのレイアウトは 鍋弓わた による。
ユダヤ教は、古代のパレスチナ地方(現在のイスラエル)で暮らしていたイスラエル人(ユダヤ人)たちのなかで生まれた宗教です。
信仰対象は唯一神『ヤハウェ』です。
信仰対象が唯一神であることからもわかるとおり、ユダヤ教は一神教です。
ちなみに偶像崇拝は禁止です。
経典は『ヘブライ語聖書』『タルムード』です。
『ヘブライ語聖書』は『タナハ』『
ユダヤ教の聖典として有名な『トーラー(モーセ五書)』は『ヘブライ語聖書』のなかに含まれます。
『トーラー』はユダヤ教にとって大切な存在のひとつです。
用紙のはじめと終わりの両方にそれぞれ軸がついた、二本の芯を持つ特殊な巻物にも見える形状をしています。
『ヘブライ語聖書』はいわゆる『旧約聖書』のこと。
ただしユダヤ教の方々は『聖書』を『旧約聖書』とは呼びません。
『聖書』『タナハ』『ミクラ(
『旧約聖書』という呼び方は『新約聖書』を持つキリスト教的、またはその影響を受けた異教徒の呼び方だからです。
『新約聖書』を持たないユダヤ教の方々は、『聖書』をわざわざ新旧に呼びわける必要はないのですね。
『トーラー(モーセ五書)』の著者とされるモーセが生きたのは、紀元前13世紀ごろとも紀元前16世紀ごろともいわれています。
いわゆる”後世の歴史家”および世俗的な視点で見れば、『モーセ五書』の著者はモーセではないとされています。
ただし保守的なキリスト教会や学者たちは、いまでも「『モーセ五書』の著者はモーセである」と信じています。
紀元前の時代、奴隷にされていたイスラエル人(ユダヤ人)たちを率いてエジプト王国を脱出したのがモーセです。
モーセ自身もイスラエル人です。
彼は脱出のとき、絶体絶命のタイミングで海を割って道をつくり、人々を窮地から救いました。
そして神さまと顔を合わせ、シナイ山でたったひとり、『
このとき『十戒』は、神によって二枚の石板に刻まれました。
『十戒』はこのような内容です。
わたしは、あなたをエジプトの国、奴隷の家から連れ出した、あなたの神、主である。
1.あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
ユダヤ大辞典編纂委員会[2006]『ユダヤ大事典』30p
2.あなたは自分のために、偶像を造ってはならない。
3.あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
4.安息日を覚えて、これを聖なる日とせよ。
5.あなたの父と母を敬え。
6.殺してはならない。
7.姦淫してはならない。
8.盗んではならない。
9.あなたの隣人に対し、偽りの証言をしてはならない。
10.あなたの隣人の家を欲しがってはならない。
いまにつながるユダヤ教のルールがあらわされていることがわかります。
『十戒』からわかるユダヤ教のルール1:一神教であること
ユダヤ教は唯一神『ヤハウェ』を信じる一神教です。
なぜ一神教で、日本の神道のように多神教でないのか?
その答えは『十戒』にあります。
シナイ山でモーセがただひとり神と顔を合わせて授かった『十戒』。
ここの第一の項目が
1.あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
なのです。
ユダヤ教が一神教なのは、その唯一神みずからによって定められているからなのですね。
『十戒』からわかるユダヤ教のルール2:偶像崇拝はダメです
ユダヤ教は偶像崇拝が禁止されています。
そういえばユダヤ教由来の『ヤハウェ』の絵画、
もちろんわたしも見たことがありません。
それは偶像崇拝が唯一神『ヤハウェ』によって禁じられているからなのです。
モーセがシナイ山で授かった『十戒』の項目のひとつにあります。
2.あなたは自分のために、偶像を造ってはならない。
と。
『出エジプト記(口語訳)』では以下のようにも定められています。
あなたは自分のために、刻んだ像を造ってはならない。上は天にあるもの、下は地にあるもの、また地の下の水のなかにあるものの、どんな形をも造ってはならない。それにひれ伏してはならない。それに仕えてはならない。
偶像崇拝 – Wikipedia
原出所:『出エジプト記』20章4節から5節(口語訳)
……ちょっとこれ、衝撃的ではありませんか。
神さまの姿どころか、この世にあるものすべてを描いたり、立体造形してはならない、といっているのです!!
その作品を拝んだりしてはならない、とも!!
たとえば東大寺にいって「奈良の大仏さん」
薬師寺には本尊として彫刻や絵画が収められています。
しかもそれらの「偶像」に違和感なく手を合わせられる日本人としては、偶像崇拝禁止は知れば知るほどその違いに驚いてしまいます。
豪華絢爛な寺院と仏教美術が発展した日本の文化から考えると、「『偶像崇拝』禁止だなんて残念だなあ(´・ω・`)」と思ってしまいそうです。
イラストレーターの端くれとしては、疑問が出てくるのですよ。
絵や彫刻をおこなう人々は、ユダヤ教の世界観を創作したいと思ったりしなかったのかなあ……と。
絵や彫刻をおこなう人々が「ユダヤ教の世界観を創作したい」と思ったのか思わなかったのか、いまとなっては確かめるすべはありません。
けれども事実だけをたどれば、19世紀までユダヤ人の画家や彫刻家は誕生しませんでした。
ユダヤ教は行動――神との約束を守ること――を重視する宗教です。
彼らが伝統的に神さまを心から敬い、その結果の行動として絵や彫刻をおこなわなかったのですね。
ユダヤ教を信じるユダヤ人がどれほど強い信仰心を持っていたのかが伝わってくる事実のひとつです。
『十戒』からわかるユダヤ教のルール3:神さまの名前をいってはいけない
ユダヤ教では
- 神さまの名前『ヤハウェ』をみだりに唱えること
- 神さまの名前『ヤハウェ』を連呼して呪文にすること
- 神さまの名前『ヤハウェ』を唱えて誓っておきながら、その約束を破って嘘をつくこと
を禁じています。
神さまの名前は太古の昔、普通に発音されていた
現在のユダヤ教では神さまの名前を気軽に呼んではいけません。
「天照大御神が天岩戸でうんぬんかんぬん~」と日常で会話しても問題ない日本人からすると驚きの決まりです。
ホントにそんな日常会話をおこなうかどうかはべつにして……。
「禁止されている」「禁止されていない」の違いは大きいです。
この「神さまの名前を呼んではいけない」決まりは、じつは『十戒』から来ている説と、『十戒』から来ていない説の両方があります。
【1】神さまの名前『ヤハウェ』をみだりに唱えることの項目では、【みだりに】がポイントです。
解釈によっては、名前を呼ぶことそのものを禁じてはいないともいえるわけです。
ただ、必要もないのに気軽にお呼びしてはいけないことは、ハッキリわかります。
20世紀になってから見つかった写本などを調査した結果、イエスキリストの時代(紀元1世紀ごろ)には神さまの名前をまだ発音していた可能性があると現在も議論されています。
古文書に神さまの名前がフツーに記載されていたりするのが、その議論の根拠です。
神さまの名前を唱えてはいけない現在では考えられないことです。
『十戒』は、紀元前13世紀または紀元前16世紀に神さまが授けてくださったものです。
ということは、紀元前13世紀ないし紀元前16世紀以後は神さまの名前を発音するのはダメだったはずにもかかわらず、です。
では、『十戒』で定めれている「神さまの名前をいってはいけない」はどういう意味なのでしょうか。
神さまの名前を呪文にしてはならない
【2】神さまの名前『ヤハウェ』を連呼して呪文にすることについて注目してみましょう。
『十戒』の
3.あなたは、あなたの神、主の御名を、みだりに唱えてはならない。
は、これ――神さまの名前『ヤハウェ』を呪文にすること――を禁止している項目なのでは、とも考えられています。
「神さまの名前を呪文にすること」と「神さまの名前をみだりに連呼すること」はたしかにほぼ同じ……。
呪文にするためには、その語句を繰り返し口にする必要がありますからね。
日本人としては、念仏を唱えるところなどを想像すればわかりやすいです。
念仏を繰り返すように「ヤハウェさま、ヤハウェさま……」と、神さまの名前を繰り返し口に出してはいけないのです。
念仏で唱える『南無阿弥陀仏』は、「わたしは阿弥陀仏に帰依します」を意味します。
文字どおり『阿弥陀仏』のお名前を繰り返し口にしているのですね。
ユダヤ教では、神さまの名前を口にして誓っておきながら、その誓いを破ることも固く禁じられています。
イメージとしては、
『ヤハウェ』に誓います。わたしは今日からダイエットします!!
といいながら、
やっぱ今日はパフェ食べたいから、ダイエットは明日からにするで~☆
こういうのは、アウト!!!!!! ってことです。
こんなたとえでごめんなさい。
『十戒』からわかるユダヤ教のルール4:安息日(土曜日)は大切な日
ユダヤ教では、毎週土曜日を『
安息日は、金曜日の夜から始まります。
終わるのは土曜日の夜です。
土曜日の夜、労働の一週間を迎えるための儀式『
「安息日は土曜日」といっても、日付の変わる24時~24時、というように機械的かつ自動的に区切られているわけではないことに要注意です。
安息日は、モーセが十戒を授かったときからの伝統です。
モーセが活躍したのは紀元前13世紀(または紀元前16世紀)なので……3000年以上つづく伝統!
もうすぐ皇紀2700年になる(2022年は皇紀2682年)わが国よりも長い伝統ですね~。
ちなみに、毎週日曜日を休日にする日曜休日制度は、西暦321年にローマで採用されてからつづく伝統です。
ユダヤ教の毎週土曜日の安息日のほうが、ずっとずっと歴史が長いのですよ~!
『安息日』では、すべての労働が禁止です。
ほおーん……うちの会社も土日休みの週休二日制やから、土曜日は安息日やわ☆
と思った方は、休日と安息日の違いを見るとびっくりしちゃうかも……!
ユダヤ教の安息日の習慣1:店とサービスはすべてお休み
公共交通機関はほとんど動きません。
お店はすべて閉まっています。
ホテルのエレベーターさえ自動運転に切り替わります。
安息日ではスイッチを押すことそのものがダメなので、2フロアごとにエレベーターが自動的に止まるようにたいていのホテルでは事前に設定されます。
ホテルの食事は、予約客にだけ用意されます。
休日やから百貨店に買い物に行くで~☆
というわけにはいかないんです。
お店は閉まっているし、金銭の授受そのものが禁止……。
ユダヤ教の安息日の習慣2:労働は禁止です
労働は、ただ単に会社組織で働くことだけを意味しているわけではありません。
たとえ電灯のスイッチだとしても、その「ON」「OFF」を切り替えることもダメです。
ただ、これには救済策(?)があって、あらかじめ「ON」になっている電灯の光量を調整するのはOKです。
スイッチの切り替えの禁止は、下の項目で具体的に説明している「火を使うことの禁止」から来ています。
そのほかでは、
- 庭のお手入れをおこなうこと
- 金銭のやり取りをおこなうこと
- 荷物を持つこと(※礼拝には祈祷用ショールのみ持って行きます)
- 雨が降ったときに傘をさすこと
が、禁止されています。
ユダヤ教の安息日の習慣3:火を使うことは禁止です
この項目「点火の禁止」は厳密には「労働は禁止」に含まれますが、ユダヤ教徒でない日本人にとっては別項目にしたほうがわかりやすいので、このように独立させています。
ユダヤ教の安息日では、火を使うことそのものが禁止です。
火を使うことが禁止されることによってできなくなるのは、いったいどのようなことでしょう。
具体的にあげていくと、
- 料理をすることはできない
- タバコを吸ってはいけない
ということです。
タバコはともかく(;´Д`)
料理は死活問題です。
ユダヤ教の方々は、安息日はいったいどのように食事をしているのでしょうか。
答えは、事前に用意しておく! です。
安息日を迎える金曜日の夜の前に、その家の食事を用意する人は、すべての食事の準備をすませておかねばなりません。
安息日当日は「火を使うことは禁止」ですが、あらかじめ種火を残しておいたガスやオーブンで料理を温め直すことはOKです。
ですので、安息日当日は、事前に用意した料理を温め直していただくわけですね。
安息日には、洗濯した清潔な服を身に着けることが神への礼儀とされています。
さっぱりした服を着て、金曜日の夜(=安息日の夜)は、家族でゆっくり食事を楽しみます。
この夕食には親しい知人や友人を招待してもOKです!
『十戒』からわかるユダヤ教のルール5:道徳的なこといろいろ
『十戒』からは、無宗教を名乗る人々にも容易に納得できる道徳的なルールも見て取れます。
- 自分の父と母を大切にしましょう。
- 殺すことはいけません。
- 姦淫してはいけません。
- 人のものを盗んではいけません。
- 嘘をついてはいけません。
- いたずらに人をうらやんではいけません。
「当然だ」と思って、ユダヤ教の信仰の有無にかかわらず、無意識のうちに守って暮らしている方々も多いのでは?
この「当然だ」と現代人が思う項目。
それがわざわざ設定された事情を考えてみましょう。
法律にしろ、『子どもの権利条約』にしろ、手間暇かけて制定されるのは、それを守れない現実、守らない人々、守ろうとしない国々があるからです。
みんながみんな無意識にすべてを守ることができるなら、ルールを明文化する必要なんてありません。
だとしたら『十戒』は?
こういった道徳が定められている点から、モーセたちの40年の旅路がとてつもなく困難な道のりだったことがわかります。
つらい現実のなかでは、心の余裕なんてなくなります。
父母や家族を大切にできないこともあるでしょう。
腹立たしい相手を殺したいほど憎んだこともあったかもしれません。
「あの人の持っているアレがうらやましい」と、「いっそ盗んでしまおうか」とよぎったこともあったかもしれません。
現代的な具体例としては、日本の場合は災害時の混乱があげられます。
物資が不足するために盗難が起こりますし、治安が悪くなって女子供はとくに犯罪に巻き込まれやすくなります。
現実のつらさに負けてルールを守れなくなる人がいるからこそ、このような事態になってしまうのです。
ユダヤ教の方々は、モーセの時代――紀元前のころ――から、困難な状況を生きることを余儀なくされてきたのですね。
『十戒』由来ではなく「歴史」由来でユダヤ教は布教を好まない
困難と迫害に遭いつづけた現実の結果として、ユダヤ教の方々は布教を好みません。
たしかに、ユダヤ教の方々から布教されるイメージってありません。
世界史のなかで布教・宣教しまくって世界をまたにかけるのはキリスト教ですし、わが国で個別訪問してしつこく布教してくるのは新興宗教ばかりです。
ユダヤ教の方々は歴史的に迫害されてきました。
ほかの宗教から布教されて改宗を迫られる立場だったのです。
それによって、ユダヤ教の方々はつらい思いを長くしてきました。
結果、ユダヤ教では、信仰を持たない人々に布教することを好まなくなりました。
他宗にされてイヤだったからこそ、ほかの人々にもおこなわないのです。
「あなたがたの宗教心を侵さないから、われわれがわれわれの宗教を信じることを認めてほしい」ということです。
これこそ当然の話なのですが、気の遠くなるほど長い間、それは守られてきませんでした。
悲しいですね。
わたしはユダヤ教のこの性質に心から共感します。
子供のころから宗教問題に悩まされてきたわたしがたどり着いた結論も同様だからです。
「わたしはわたしの信じたいものを信じるので、その自由を認めてほしい。その代わり、あなたたちが信じたい宗教をおこなうことを否定はしない」。
日本国憲法において、信教の自由は認められていますしね。
小さなころからとある新興宗教を信じることを強要されて育ったわたしは、大人になってからその新興宗教を正式に辞めています。
「この信仰を捨てれば地獄に落ちる」とまでいわれたのは、いまになっても忘れられることではありません。
ユダヤ教の神さま『ヤハウェ』は歴史的にはいつから存在したのか
神さまの名前をみだりにいってはいけない
神道にせよ仏教にせよ、わたしたち日本人はわりとカジュアルに神仏の名をいってしまいます。
神社のいわれには「この神社には○○○○の
そしてその答えはパンフレットやガイドブックに”罪悪感のかけらもなく”書かれています。
それとは反対に、ユダヤ教では神さまの名前をいってはいけません。
神さまの名前とは『ヤハウェ』です。
厳密には、ヘブライ語の四つの子音で構成されるこの神さまの名前は、正確な発音がいまもわかっていません。
ユダヤ教の方々は神さまの名前を発音する必要がある場合、神さまのことを『アドナイ』または『ハッシェム』と呼びます。
この言葉のどちらも『ヤハウェ』とはまったく別の言葉です。
つまり、『ヤハウェ』の読みを別の言語で発音した言葉ではないんですね。
たとえば『アドナイ』は「主(Lord)」を意味しており、単数形『アドニ』になると「わが主(my master)」の意味となります。
『アドニ』は「ご主人様」を指す一般的な語句。
「ご主人様」で連想される(?)、奴隷の雇用主さえその中に含まれます。
強い。
『ヤハウェ』信仰のすべての元ネタがユダヤ教由来というわけではない
ユダヤ教はキリスト教やイスラム教よりずっと古いです。
そこで「唯一神『ヤハウェ』を信じましょう」といわれているのですから、『ヤハウェ』はユダヤ教オリジナルなのかなーと思ってしまいます。
めちゃくちゃカジュアルに解説すると、神さま『ヤハウェ』のキャラクターの元ネタは、ユダヤ教成立前から存在していたのです。
ここではわかりやすくするために「キャラクター」といいました。
ユダヤ教の唯一神がヤハウェであることをわたしは理解していますし、宗教を信じる方々の本尊を貶めるつもりはありません。
ユダヤ教成立前(当然ながら紀元前)、神さまヤハウェを信じる『ヤハウェ信仰』(のちに一神教化)と、神さまエロヒムを信じる多神教『エロヒム信仰』がありました。
このふたつの信仰にはかなりの違いがあり、決して似た宗教だったわけではありません。
たとえば『エロヒム信仰』の神さまエロヒムは多神教の最高神でした。
ギリシャ神話のゼウスのようなしっかりとした人格設定があったわけではなく、もっと抽象的でフワッとした概念の天の神だったのです。
日本の神道のイメージに近い気がしますね。
これに対して『ヤハウェ信仰』の神さまヤハウェは、がっちりとした性格設定がありました。
慈愛を見せるのはもちろんのこと、ときには他宗教に傾倒していく人間に対して悪感情を見せることもありました。
かなり人間的です。
『ヤハウェ信仰』と『エロヒム信仰』では、『エロヒム信仰』のほうがさらに古いです。
『エロヒム信仰』が生まれたあと、『ヤハウェ信仰』が生まれました。
ユダヤ教徒になる=ユダヤ人になること
ユダヤ教徒になるにはどうすればよいのでしょうか。
「ユダヤ教徒になる」ことは、「ユダヤ人になること」を意味します。
ユダヤ人の定義が以下のように定められているからです。
- ユダヤ人の母親から生まれた人
- ユダヤ教に帰依した人
どちらを満たすとユダヤ人になることができます。
この定義は、1970年の帰還法改訂によるものです。
『帰還法』はイスラエルの法律です。
イスラエル国外のユダヤ教徒が、イスラエルに帰還(移住)するために定められました。
もともとイスラエルに住んでいたのはユダヤ人である、という前提の名称になっていて興味深いですね。
ユダヤ人にはいろんな人種の方々がいます。
ユダヤ人共通の身体的特徴というものはありません。
目も肌も髪も、みんなさまざまなのです。
ですから、上の条件のどちらかさえ満たせば、たとえ日本人であってもユダヤ人になることができます。
ユダヤ教に入るのは簡単ではない
かといって、ユダヤ教に入るのは簡単なことではありません。
日本に数多く存在する新興宗教のように、

この宗教に入りたいですー☆
信者さん増やしたいからめちゃんこ大歓迎やで☆ どうぞどうぞー☆☆

というわけにはいかないのです。
ユダヤ教に入るためには、数年間にも及ぶ厳しい修業と勉強をこなさなければなりません。
これらの修業と学習はぼんやり受講さえすればよいものではなく、最後には筆記試験、ユダヤ法廷による口頭試問が待っています。
合格後は男性、女性ともにそれぞれ儀式を受けます。
男性は割礼後に浸水儀式、女性は浸水儀式のみです。
男性の割礼には宗派によってさまざまな対応があるようです。
たとえば『改革派』と呼ばれる宗派の場合ですと、割礼を奨励してはいるものの義務ではありません。
「象徴的行為のみでかまわない」としているラビも……。
ラビは、ユダヤ共同体の執政者であり、裁判官のことです。
司祭や牧師のイメージを抱きがちですが、ラビは聖職者ではありません。
現在のラビは、共同体の世話役のような役割をこなすことが多いです。
シナゴーグ(ユダヤ教の教会)での礼拝時における祈祷の先導、トーラー(ユダヤ教の聖典のひとつ)の朗読、結婚式などの執り行い、食事規定や清浄についての監督などなど、大忙しの役目です。
こういった厳しい修業と学習をおこなうつもりであったとしても、宗派によってはユダヤ教への改宗は困難であるともいわれています。
ユダヤ教には『超正統派』『正統派』『保守派』『再建派』『改革派』などと呼ばれるさまざまな宗派が存在しています。
たとえばこの中の『正統派』は、正統派のラビによる改宗手続き以外は認めていません。
ユダヤ人の定義は現在(1970年の帰還法改訂)とナチスドイツでまったく違うことに注意
先ほど、ユダヤ人の定義は以下であると述べました。
- ユダヤ人の母親から生まれた人
- ユダヤ教に帰依した人
これらの定義は、ナチスドイツのユダヤ人の定義とはまったく違うものです。
ナチスドイツにおけるユダヤ人の定義は
- 4人の祖父母のうち、3人以上がユダヤ人である人はユダヤ人
です。
1~2人の祖父母がユダヤ人の場合は「混血」とされました。
「混血」の方々もじょじょに権利をはく奪されて迫害されていくことになります。
具体的に考えてみましょう。
現在、以下の場合はユダヤ人ではありません。
- 父はユダヤ人だが、母がユダヤ人ではない場合
(※『改革派』は「父親がユダヤ人なら子供もユダヤ人」としますが、この定義はほかの宗派から猛烈な反対にあっています) - 母親がユダヤ人であっても、子供自身が別宗教に改宗した場合
ユダヤ人は、血筋においては母方をたどり、姓は父方を継承します。
ところが、ナチスドイツ下では以下のような場合でもナチスによってユダヤ人認定をされました。
- 4人の祖父母のうち、3人以上がユダヤ共同体の出身である場合
- 本人の信仰にかかわらず、ユダヤ人と結婚している場合
- 本人の信仰にかかわらず、親がユダヤ人である場合
【4人の祖父母のうち、3人以上がユダヤ共同体の出身である場合】は非常に大きなポイントです。
この3人以上の祖父母がキリスト教に改宗していたとしても、孫はユダヤ人、とされるのです。
たとえこの孫がキリスト教の司祭や牧師をしていたとしても――。
時間が3世代も過ぎれば、家庭の状況はかなり違っています。
ユダヤ教を信じずにキリスト教を信じていた人、その司祭や牧師、修道女をしていた人、ユダヤ共同体にかかわったことなどなく「ユダヤ人である」自覚さえない人……、これらの人々も【4人の祖父母のうち、3人以上がユダヤ共同体の出身】ならば、ナチスドイツによって「ユダヤ人だ」と認定されました。
『パレスチナ』を指すいくつもの言葉
『パレスチナ』を意味する何種類もの表現
このページの冒頭で【ユダヤ教は、古代のパレスチナ地方(現在のイスラエル)で暮らしていたイスラエル人(ユダヤ人)たちのなかで生まれた宗教である】と述べました。
パレスチナを指す言葉はびっくりするほどたくさんあります。
- パレスチナ
- 約束の地
- 乳と蜜の流れる地
- カナン
- イスラエル
- ユダヤ
などです。
この中でユダヤ人たちが自称するのは『イスラエル』という呼称です。
たしかにいまここにあるユダヤ人の国も『イスラエル』といいますね。
国号は『イスラエル国(State of Israel)』ですよ~。
『パレスチナ』とは
日本人からすると、なんだか政治的にややこしくて人々がいつも争っているようなイメージがある『パレスチナ』。
「もともと住んでいたのはアラブ人では?」というイメージさえあります。
この言葉『パレスチナ』には『アラブ人の国』というニュアンスはまったくありません。
本来の意味は『ペリシテ人の国』です。
古代ギリシャの歴史家ヘロドトス(紀元前490年~紀元前480年に誕生、紀元前430年~紀元前420年に死没)が、この地に住むペリシテ人の国のことを『パレスチナ』と呼んだのがその語源です。
にもかかわらず、なぜ『約束の地』を『パレスチナ』と呼ぶようになったのか。
ここはユダヤ人にとって大切な地で、ユダヤ人は『イスラエル』と呼ぶのに?
『パレスチナ』という呼称が一般的になったのは、ユダヤ人が世界各地に離散(ディアスポラ)したころのことです。
西暦70年、ユダヤ人の手にあった『第二神殿』がローマ帝国に奪われて破壊されました。
激しい戦争の末になんとか生き残ったユダヤ人たちは、ローマ帝国のもとで厳しい民族弾圧を受けます。
ところがユダヤ人たちは決してあきらめず、大きな反乱をたびたび起こしてはローマ帝国を悩ませます。
「この地方からユダヤを一掃せねばならぬ」と強く思ったローマ帝国は、『イスラエル』を『パレスチナ』と呼ぶことに決めました。
『パレスチナ』の呼び名は、ユダヤ人にとって忌み嫌うべきペリシテ人に由来するものです。
第二神殿の時代より前、モーセによる『出エジプト』のあと、『約束の地(乳と蜜の流れる地)』にたどり着いたユダヤ人たち。
彼らはすんなりとここ『イスラエル』に居住できたわけではありません。
ペリシテ人との戦いの果てになんとかこの地に住んでいたのです。
ですから、ユダヤ人たちはペリシテ人をとても嫌っていたのです。
『カナン』とは
『カナン』は本来、イスラエル人がやってくるまえにパレスチナに住んでいた人々を意味する言葉です。
イスラエル王国が成立したあとはほとんど使われなくなりました。
ユダヤ人の始祖であるアブラハムの旅した場所が『カナン』の地でもあります。
アブラハムについては後述しますが、ひとまずここで簡単にいうなら、彼はユダヤ人の始祖です。
ただしユダヤ教の開祖……とはいえないでしょう。
アラブ人も、アブラハムを自分たちの始祖だと考えています。
アブラハムは唯一神の命令(というと語弊があるかもですが……)にしたがい、神さまを疑わずに信じ、ひたすらいろんな場所を旅した男性です。
その信仰心の篤さから、キリスト教徒もアブラハムを自分たちの『信仰者の父』であると考えています。
『イスラエル』とは
『イスラエル』はそのままイスラエル人のことです。
この言葉はユダヤ教の世界観のなかで幾度も登場します。
まず、『パレスチナ』が差す場所のことをユダヤ人は『イスラエル』と呼びます。
ユダヤ人という名称は、イスラエル民族の一部族である『ユダ』族という語句から生まれています。
ユダヤ人の始祖アブラハムの孫ヤコブは、神によって改名させられています。
その名前が『イスラエル』です。
ヤコブ(イスラエル)の息子たちは、のちに『イスラエル十二部族』の基礎となっていきます。
出エジプト後にパレスチナにたどり着いたイスラエル人たち。
『イスラエル十二部族』は、そのパレスチナを分割統治しています。
史実ではパレスチナ先住民族やペリシテ人のもとで窮屈な暮らしを余儀なくされたイスラエル人。
対してユダヤ教の考えでは、『イスラエル十二部族』の力でパレスチナを積極的に統治したことになっています。
また『イスラエル』の名を持つ天使もいます。
ナチスドイツがドイツ人と見分けのつかない名前を持つユダヤ人男性に名乗るよう強要したミドルネームも『イスラエル』です。
同様の女性には『サラ』のミドルネームを強要しました。
『約束の地』パレスチナを手に入れることは困難だった
ユダヤ人にとって『約束の地』がパレスチナ(イスラエル)です。
モーセをリーダーとして出エジプトをおこなったイスラエル人(ヘブライ人またはユダヤ人)は、40年にわたる旅路の果てにパレスチナにたどり着きました。
このとき、彼らのリーダーはすでに『ヨシュア』に代替わりしています。
また、このページでは『イスラエル人』と呼んでいますが、彼らは『ヘブライ人』であり、のちの『ユダヤ人』です。
子供向けの書籍ではそのまま『ユダヤ人』とシンプルに呼称されることがあります。
昔の『ユダヤ人』を意味する呼称はたくさんあるのです。
唯一神『ヤハウェ』は、イスラエル人に対し、「『乳と蜜の流れる地』に導く」と約束していました。
ところが、導きの結果にたどり着いたはずのパレスチナに住むことは、イスラエル人たちにとって決して簡単なことではありませんでした。
彼らが「かつて住んでいた」とはいっても、実際に住んでいたアブラハム一家の時代からはときがたちすぎて、新しく住んでいる人々がパレスチナにはすでにいたからです。
リーダー ヨシュアとイスラエル人たちはどうしたのでしょうか。
なんと彼らは、実力行使でみずからの住む場所を獲得していきます。
ヨシュアとイスラエル人たちは『ヨシュア記』において、「城塞都市エリコ、その近くの街アイ、さらに南方と北方に展開させた戦いを勝利した」とあります。
このなかで城塞都市エリコを陥落させた方法が驚愕です!
それはエリコの城壁の周囲を7日間歩き、7日目に『ときの声』を上げて角笛を吹き鳴らすと城壁が崩壊した、というもの。
ファンタジックすぎる……!!
ところが、『約束の地』にたどり着いたイスラエル人たちはパレスチナを自分たちだけのものには簡単にはできなかった、というのが史実のようです。
先住民族やペリシテ人の圧迫のもとに暮らすことを余儀なくされた時代が長くつづきました。
パレスチナを完全に手に入れるのは、イスラエル最大の王ダビデによる統一王国になってからです。
イスラエル人たちは荒野をさまよう旅が終わったというのに、まだまだ長いときを耐え忍ばねばなりませんでした。
ペリシテ人とは、紀元前13世紀~紀元前12世紀ごろに、エーゲ海地方からパレスチナに移住してきた人たちです。
顔つきや見た目はヨーロッパ系です。
ミケーネ文明を背景に持っている、たいへんに文化レベルの高い一族でした。
ヨシュアたちがやってきた時代の段階では、土器のつくりやデザインを見ても、圧倒的にペリシテ人のもののほうが優れていました。
ペリシテ人といえば、イスラエル人の
『士師』は、ヨシュアによる征服後にパレスチナを分割統治した、12人のイスラエル人リーダーたちのことです。
王政とは違い、世襲制ではありませんでした。
また「12人の士師たち」は、「12」の数字は共通ですが『イスラエル十二部族』とは違う存在です。
「城塞都市エリコの城壁が角笛の音で崩壊する」というあまりに”ファンタジックな”戦闘描写を見てもなんとな~~~くわかるとおり、『旧約聖書』『ヨシュア記』に書かれている、城塞都市エリコ、アイの街をはじめとする戦いの記述は、大部分が後世の創作であると考えられています。
城塞都市エリコ、アイの街があったとされる場所に、人が住んでいた痕跡は見つかっていません。
そのあとに展開したとされる北方と南方の戦闘地域では、破壊の証拠が見つかっていません。
こうして苦労して、出エジプト後に建国したイスラエル王国。
この国もけっきょくは滅んでしまいます。
そして、ユダヤ人として世界に
彼らは長い長いときをへて、この地に幾度目かの国をつくりあげました。
それが現在のイスラエル国です。
じつは現在のイスラエル国は、ユダヤ人による四度目の居住です。
『約束の地』に住んでも住んでも、ユダヤ人はそこを離れねばならなかったり、追われたりしてきました。
- ユダヤ人の始祖アブラハムの子と孫が住んでいたカナンの地
⇒食料不足によりエジプト王国に移住する。その後、人々は奴隷化。 - 出エジプト後にたどり着いて建国したイスラエル王国
⇒北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂後、滅亡。
ユダヤ人はバビロンに強制移住させられる(バビロン捕囚)。
シナゴーグ(教会)が始まる。 - バビロン捕囚から帰還して『第二神殿時代』を築く。ユダヤ教のベースがほぼ成立(※古代ユダヤ教)。
のちに『嘆きの壁』となる神殿ができたのもこのころ。
⇒ローマ帝国に滅ぼされてユダヤ人は離散 することに。 - あまりにも悲惨なホロコーストのあとにやっと手に入れた、現在のイスラエル国。
『古代ユダヤ教』は『第二神殿時代』に成立しています。
ただし、この『古代ユダヤ教』は現在の『ラビのユダヤ教』とは違うものです。
違うものですが、ユダヤ教のベースである「律法を中心とした生き方」がユダヤ共同体全体の基準となったのはこのころです。
政治的にいろいろあるのでしょうけど、つらい目に遭ってきたユダヤ人の方々には自分の国を持ってほしい……と思わずにはいられません。
けれどそのために起こっている紛争(中東戦争など)もあります。
どのように転んでもだれかが泣いてしまう、うまくいかない現実。
悲しくてやりきれない気持ちになりますね……。
モーセはユダヤ教の開祖?モーセってそういえばどんな人だっけ……
ユダヤ教の開祖?モーセのプロフィール
ユダヤ教の開祖といって差し支えない指導者モーセ。
彼は、壮絶な生い立ちを持つイスラエル人のひとりでした。
名前 | モーセ(ヘブライ語では מֹשֶׁה モーシェ) |
民族 | イスラエル人(イスラエル人のうちのレビ族) ※ヘブライ人、ユダヤ人ともいえる。 |
名付け親 | 川からすくいあげてくれたファラオの王女。 モーセは彼女の息子として育てられた。 |
生没年 | 紀元前13世紀または紀元前16世紀ごろ |
家族(生家および養育者) | ・養育者:ファラオの王女。モーセを川からすくいあげる。 ・実母ヨケベド:乳母として王女に雇われた。 ・実父アムラム:ヨケベドの甥にあたる。 ・姉ミリアム:実母ヨケベドを乳母にするため一役買った。 ・兄アロン:モーセの『出エジプト』に協力。 ※姉ミリアムと兄アロンは、モーセの異母きょうだいとする説もある。 |
実績 | 絶体絶命のイスラエル人たちを率いて『出エジプト』をおこなったこと。 神さまから『十戒』を中心とした「神の律法」を授かったこと。 モーセは、ユダヤ教・キリスト教・イスラム教など多くの宗教において重要な預言者だとされている。 |
職業 | イスラエル人の解放の指導者 ※前職は妻といっしょにおこなっていた羊飼い。 ※前々食はエジプト王国の王子。 |
結婚歴 | あり。 妻の名前は『ツィポラ(チッポラ表記のときもあり)』。 |
子供 | 息子がふたりいる。 名前は『ゲルショム』『エリエゼル』。 |
開いた宗教 | ユダヤ教 |
神さまから授かったもの | 『十戒』を中心とした「神の律法」。 このとき『十戒』は二枚の石板に刻まれている。 |
『約束の地』パレスチナには入れたの? | 神に一度だけ背いたことが原因で、モーセ自身は入ることができなかった。 次代のリーダー ヨシュア が、イスラエル人たちとともにパレスチナに帰還した。 |
有名な技 | 絶体絶命のとき、海を割って通り道をつくったこと! |
印象的な装備品 | 海を割るときに掲げた杖。 映画『十戒』パッケージで掲げている二枚の石板(※ここに『十戒』が刻まれている)。 |
秘密 | エジプト人に暴行されているイスラエル人を助けようとしたときに、そのエジプト人を殺害してしまったこと。 |
神に背いた罪の内容 | 40年にわたる荒野の旅の途中、人々に「水がほしい」とねだられたとき、神は「『水を出せ』と岩に命じて水を出しなさい」と命令したが、モーセはその指示にしたがわず、杖で岩を叩いて水を出してしまった。 |
生後三か月で川に流されたモーセ
紀元前13世紀または紀元前16世紀のころ、エジプト王国に住んでいたイスラエル人(ヘブライ人。のちのユダヤ人)たちは奴隷にされていました。
たんに奴隷にするだけでなく、当時の

新しく生まれたイスラエル人の男の子はみんな殺せ!
エジプト王国はエジプト人のもんやのにイスラエル人が増えすぎるのはイヤや!
イスラエル人はほんま出生率高すぎ~!
子を育てる母としては許せない命令!
しかもうちは息子だし!!
……古代の歴史はこういった残酷ネタに事欠かないので、ひもとくのがキツイときがありますよ……

古代エジプトの王の称号はファラオ。
これはギリシア語での読み方であり、聖書では『パロ』といいます。
当時生まれたばかりの赤ちゃんだったモーセはその出生を隠して育てられていました。
しかし隠して育てつづけるのにも限界があり、生後三か月のころ、とうとう
そんなモーセを拾ったのは、偶然、川で水浴びをしていたパロの王女でした。
こうしてモーセは隠された子から一転、王女の息子として王宮で養育されます。
姉ミリアムの助けで、乳母には実母ヨケベドがつけられました。
モーセは実母の手でちゃんと育てられることになったんですね。
高貴な女性は昔、自分で育児をすることはありませんでしたから。
エジプト王国でモーセは、最高の学問と武術を学んでいきます。
「自分はイスラエル人である」と、その思いを胸に秘めながら。
モーセの秘密。勢いあまってエジプト人を殺害してしまう
エジプト王国の王子として成人したモーセでしたが、あることがきっかけでエジプト王国を追われてしまいます。
エジプト人にいじめられていた奴隷のイスラエル人を助けようとして、勢いあまって、エジプト人を殺害してしまったのです。
モーセのたどり着いた潜伏先は『ミディアンの地』でした。
『ミディアンの地』は現在のサウジアラビア タブーク州(アラビア半島)です。
いまのタブーク州は商業都市として栄えています。
イスラム教の聖地メッカに向かう人々へのサービス業は主力産業のひとつです。
そのほか、バラ・チューリップ・カーネーションなど、100種類以上の花をヨーロッパに輸出する花の街でもあります。
『ミディアンの地』で羊飼いの女性ツィポラと出会ったモーセは彼女と結婚します。
モーセが羊飼いになったのはこのころです。
妻ツィポラの仕事だった羊飼いを、いっしょにやるようになったんですね。
ここで生涯を終えれば、モーセは平穏無事な人生を送ることになったかもしれません。
しかしモーセはあるとき、「燃える
「再びイスラエル人を解放しなさい」
と……。
モーセは神のいうことを聞き、エジプト王国に戻ります。
神がモーセを通して起こす『十の災い』とは
イスラエル人をエジプト王国から出国させよと、兄アロンと協力して
このとき、モーセが闘ったファラオは、古代エジプト第19王朝のラムセス二世ではないか? といわれています。
ラムセス二世の在位期間は紀元前1290年~紀元前1224年、または紀元前1279年~紀元前1212年です。
モーセの活躍時期は紀元前13世紀または紀元前16世紀ですから、ちょうど一致します!
しかし、エジプト側の記録にイスラエル人に関する記録がいっさい残っていません。
エジプト視点で見ると『出エジプト』そのものが実際に起こったものかさえわからない……というツッコミポイントはいまも残ったままです。
エジプト王国側が『出エジプト』に関する記録を意図的に消した可能性はないのかな~? と思っちゃいますね。
だってそれまで支配していたイスラエル人奴隷みんなが出て行くのを許すしかなかったなんて、ファラオと王国にとってものすごく不名誉なこと!
海を割ったかどうかはともかく、モーセたちイスラエル人にいっせいにエジプト王国を出て行かれたのが本当だとしたら、ファラオと王国にとっては”いっそ消しさりたい歴史”であることは間違いないでしょう。
わたしはこういうとき、「史実が記録されていない事実」を史実としてとらえます。
想像力が刺激されまくりんぐ。
さて、モーセに直談判されたファラオはいったいどうしたのでしょうか。
モーセたちイスラエル人の出国を許してくれた?
まさかまさか! いままでこき使っていた大量の労働力が失われるなんて許しませんよ!
ファラオは交渉に応じません。
そこで神に心身を使われたモーセは、エジプト王国に『
災いがひとつ起こるたびにファラオに出国の許しを求めますが、ファラオはモーセたちイスラエル人の願いを決して許そうとはしません。
ファラオが懲りたのは、最後に起こった十個目の災いがあまりに残酷だったから。
とてもつらい十個目のその災いは【一晩のうちに人間も家畜も、ファラオの王子も含め、エジプト王国中の長子を皆殺しになる】というもの。
そう、ファラオの息子もその犠牲になってしまったんです。
ファラオはかつて王国で出した命令の内容がおのれの身に返ってきたかたちになったのでした。
「イスラエル人のもとに生まれた男の子をみんな殺してしまえ!」と、もともと命じたのはファラオのほう。
モーセはそのせいで生後三か月のときに川に流されたのですから。
事実を局地的に見ると心が痛んでしまいますけどね……。
『十の災い』は以下のとおりです。
- ナイル川の水を血に変えて、魚を殺し、飲料水として使えなくさせる。
- カエルを放つ。
- ブヨを放つ。
- アブを放つ。
- 家畜に疫病を流行らせる。
- エジプト人と家畜の皮膚に腫れものつくる。
- ヒョウを降らせて作物を枯らし、エジプト人や家畜にダメージを与える。
- ヒョウを生き残った作物を、放ったバッタ(イナゴ)の大群に襲わせる。
- エジプト王国を三日間、暗闇で覆う。
- 一晩のうちに人間も家畜も、ファラオの王子も含め、エジプト王国中の長子を皆殺しにする。
※この悲劇を回避できたのは、モーセのいいつけを守ったイスラエル人の家庭だけ。
これがのちの『過ぎ越しの祭り』の起源となる。
このような神の奇跡に愕然としたファラオは、モーセたちイスラエル人の出国をやっと許しました。
それはそうと『十の災い』のリストから、当時イヤがられていた害虫・害獣のレベルがわかるのは興味深いですね。
カエルよりはブヨがイヤで、ブヨよりはアブが嫌い。
アブよりはバッタ(イナゴ)のほうがより困る!
そういえば、2020年にサバクトビバッタの大量発生による
昔の人もいまの人も、同じことについて悩んでいたのですね。
モーセは海を割る!『葦の海の奇跡』
やっとエジプト王国を出国できたモーセとイスラエル人たち。
ところが、ファラオは往生際が悪く、
やっぱ奴隷がいなくなるのは困るわー
と、彼らに軍隊を差し向けてきたのです!
こうしてモーセたちイスラエル人は、前方は『
…………そういえば『葦の海』って何?
「葦」って植物では? 海なのに葦が生えているの??
『葦の海』とは、エジプト北東部とシナイ半島との境界にある海または湖のことです。
周辺にイネ科の植物「葦(アシ)」や水生植物が生い茂っていたことから『
『葦の海』の場所は諸説ありますが、そのひとつが、エジプト北東部の
マンザラ湖はエジプトの北の三角州の湖では最大であり、2008年段階では長さ47km・幅30kmの大きさをほこります。
大きな
「潟湖(かたこ、ラグーン)」とは、砂や沿岸州の発達によって海から切り離された、もとは海だった水場のこと。
完全に切り離されると淡水湖になります。
絶体絶命の危機となったモーセとイスラエル人たち。
神に命じられたモーセが杖を掲げると、眼前の『葦の海』が割れて、乾いた道ができあがりました。
イスラエル人たちはその道を通り、『葦の海』をわたっていくことができたのです。
そのあとを追ってきたエジプト軍がわたることは許されませんでした。
彼らが入ると、割れていたはずの海は元通りに。
エジプト軍は『葦の海』に沈んでいったのです。
40年の長い旅は不信心で不平不満をいう民を全滅させるため
こうしてモーセとイスラエル人たちの40年にもおよぶ長い旅が始まりました。
で、この旅路の描写がリアルで複雑な気持ちになることうけあいです。
イスラエル人たちはただ従順にモーセについていったわけではなく、水や食料のことでモーセに不平不満を訴えるんですね。
モーセはそれに応えて、神の力で彼・彼女たちに謎の食糧『マナ』を与えます。
神は、神やモーセを信じないイスラエル人たちがいたことに怒りました。
不平不満をいうイスラエル人たちが全員死ぬまで、シナイ半島の荒野をさまよわせることにしたのです。
そうして40年のときが流れました。
こうしてモーセはついにシナイ山でたったひとり、『十戒』を中心とした神の律法を授かります。
さまよいつづけたイスラエル人たちは、やっと『約束の地』パレスチナにたどり着きます。
ところが、モーセはパレスチナに入ることができませんでした。
いちどだけ、神の命に背いたことがあったからです。
それはイスラエル人たちが「水がない」と嘆いていたときのこと……。
「岩に『水を出せ』と命じなさい」と神はモーセに命令します。
ところがモーセはそれにしたがいませんでした。
言葉で岩に命じて水を出させるのではなくて、岩を杖で打って水を出してしまったのです。
いったいなぜ……ここまで来て……。
大量のイスラエル人たちを率いてしかもその不平不満を聞きつづけることに、いいかげんモーセも疲れていたのでしょうか。
リアルすぎる疲労やで……。
ただ、文字どおりリアルすぎる失敗のおかげ(?)で、「モーセは実在していたのでは?」というリアリティをものすごく感じます。
ヨルダン西部にあるネボ山の頂上でパレスチナを見下ろしながらモーセはこの世を去ります。120歳でした。
キリスト教の伝承では「モーセは神によってネボ山に埋葬された」といいます。
「モアブの谷」に葬られたとも。
どちらにせよ、この墓の場所はいまもわかっていません。
イスラエル人たちは、モーセの従者ヌンの息子ヨシュアを新たなリーダーとし、パレスチナに入っていきました。
そうしてこんどはヨシュアを中心とした新たな戦いの時代が始まっていくのです。
これをきっかけに建国されたイスラエル王国はどうなったのか。
結論をいうと、イスラエル王国は長いときをへてけっきょくは亡国しています。
北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂したイスラエル王国。
北イスラエル王国は紀元前721年にメソポタミアのアッシリア帝国に滅ぼされます。
南ユダ王国は、紀元前586年に新バビロニア帝国に滅ぼされてしまいます。
南ユダ王国の住民たちは、バビロンの近郊に強制移住(強制連行)させられました。
これが『バビロン捕囚』です。
このバビロン捕囚時代に、ユダヤ教の教会シナゴーグが始まったのでは、といわれています。
古代イスラエル人(のちのユダヤ人)がパレスチナ(カナンの地)を出てエジプト王国で奴隷にされるまで
イスラエル人たちはなぜ、エジプト王国で奴隷になっていたのでしょうか。
それはエジプト王国の王朝が変わってしまったからです。
モーセが対決したファラオより前の王朝は、イスラエル人たちをちゃんとひとりひとりの人間であると認めていました。
イスラエル人たちを大切にしていた時代のエジプト王国
イスラエル人たちを大切にしたエジプト王国の王朝は、紀元前1650年~紀元前1550年ごろだといわれています。
このときのエジプト王朝はだいたい『エジプト第15王朝』。
ヒクソス(ヒュクソスの表記ゆれあり。Hyksos)と呼ばれる多民族集団が建てた王朝です。
ヒクソスの起源は、シリア・パレスチナ地方であったと考えられています。
ということは、パレスチナからやってきたイスラエル人たちが人間扱いされていた――奴隷にされたりしていなかったのは当然だったのですね。
この時代にイスラエル人たちのリーダーとして活躍するのはヨセフです。
アブラハムのひ孫(曾孫)ヨセフのサクセスストーリー
ヨセフはアブラハムのひ孫にあたる男性です。
わけあってエジプト王国で奴隷になり、そこから成りあがって成功しますが、もとはパレスチナに住むアブラハム一家のひとりです。
アブラハムってだれ?
アブラハムはユダヤ人の始祖であり、アラブ人の始祖でもある旅人です。
いまから4000年前(紀元前2000年~紀元前1800年ごろ)、アブラハムは神の語りかけを聞いて旅に出ます。
神は、
「生まれ故郷を出て、わたしの示す地へ行きなさい。
そうすればわたしはあなたをおおいなる国民とし、あなたを祝福して、あなたの名前をおおいなるものとしましょう。
地上のすべての民族は、あなたによって祝福されるのです」
このように語ったのです。
神とのこの約束に含まれている要素は以下の三つです。
- 神のいいつけを守れば土地を与えられること
- 多くの子孫に恵まれること
- 人々の祝福のもとになること
これを信じて旅人となったアブラハム。
ところが何度も何度も、この約束は果たされないのではないか――そう思わずにはいられない出来事がおとずれました。
それでもアブラハムは困難に屈せず、ひたすら神を信じ、平和を愛し、友と人々のために祈りながら旅をつづけます。
「子孫に恵まれる」と神はいったのに、妻サラはアブラハムの子供をなかなか身ごもりません。
あるとき子供ができないことに焦ったアブラハムは、女奴隷ハガルとの間に息子イシュマエルをもうけます。
このアブラハムの息子イシュマエル(現代的にいうなら婚外子)が自分たちの祖先であると、アラブ人の間では信じられています。
アブラハムはとうとう100歳になりました。
ここまできてやっと、神は妻サラとの間に息子イサクをもうけることを許します。
ところが神はあるとき、アブラハムに残酷な命令を出すのです。
「一人息子のイサクを、犠牲としてわたしにささげなさい」
と……。
「犠牲としてささげる」というのは、「命をささげよ」ということです。
ありていにいえば「神のためにイサクを殺せ」といっているわけです!
アブラハムはこれにしたがい、祭壇の上でイサクを殺そうとしました。
その瞬間、神はアブラハムを止めます。
イサクの命は助かったのです。
そうして神は、アブラハムを『救いの計画』の主人公にすることを決めました。
絶対的に神を信じ、決して疑わないアブラハムの姿を見たからです。
ユダヤ人たちは、アブラハムとその息子イサクが自分たちの祖先だと信じています。
いっぽうアラブ人たちは、アブラハムと非嫡出子イシュマエルが自分たちの祖先だと信じています。
さらにキリスト教でも、アブラハムの絶対的な信仰心の強さから「彼は自分たちの『信仰者の父』である」と考えています。
結果的に、人類の半分以上がアブラハムを自分たちの父だと考えているのは興味深いことです。
アブラハムの旅路のメインは『カナンの地』=パレスチナです。
一時的にほかの土地に行くことはあっても、基本的にはカナンの地を転々としています。
ヨセフはアブラハムの息子イサクの孫にあたる
アブラハムと妻サラの間に生まれた息子イサクは、ふたりの息子『エサウ』と『ヤコブ』に恵まれます。
そしてヤコブのほうは、なんと12人の息子に恵まれます!
ヤコブは神によって改名させられます。
その名前が『イスラエル』です。
イスラエル(ヤコブ)の12人の息子たちは『イスラエル十二部族』の基礎となりました。
神はちゃんと約束を守ったのです。
12の部族を構成できるほどまで、アブラハムの子孫はどんどん増えていきました!
ヨセフはアブラハムの孫イスラエル(ヤコブ)の、11番目の息子です。
ですから、アブラハムから見ると「ひ孫(曾孫)」です。
アブラハムの息子イサクから数えると「孫」。
ヨセフはかつてのアブラハムの息子イサクのように、イスラエル(ヤコブ)にとって、歳をとってから生まれた子供でした。
しかも母親は、イスラエル(ヤコブ)にとって最愛の妻ラケル。
もちろんのこと、イスラエル(ヤコブ)は、息子ヨセフを溺愛します。
ほかの兄弟たちはこれがおもしろくありません。
せや、ヨセフを売ってしもたらエエんや!
エジプトにヨセフを売ってまお☆
パパ(ヤコブ)には「ヨセフは死んだで」っていっといたらエエやろ!
こうしてヨセフは、エジプト王国のファラオの廷臣ポティファルの奴隷になってしまったのです。
ヨセフの得意技は「夢解き」
兄弟の策謀により、パレスチナから離れたエジプト王国で奴隷になってしまったヨセフ。
彼はエジプト王国の廷臣ポティファルのもとに売られました。
奴隷生活は平穏無事にはいかず、ポティファル夫人がヨセフを誘惑します。
が、ヨセフはこれを断るのです。
ポティファル夫人に逆恨みされたヨセフは、ファラオの監獄に入れられてしまうのでした。
ヨセフは監獄のなかでさまざまな人物の「夢解き」をおこないます。
「夢解き」とは夢の意味を解き明かして説明すること。
現代的には夢占いのイメージですね。
いまでこそ「迷信やん!」といいがちですが、この当時のエジプト王国では重要視されていました。
日々の「夢解き」の積み重ねの結果、ヨセフはついにファラオの夢解きをおこなうことになります。
だれもファラオの夢を解き明かすことができなかったからです。
ヨセフはファラオの夢を解き明かします。
「エジプト王国は7年の大豊作のあと、7年の飢饉に見舞われることでしょう」
ファラオはすぐにヨセフを宰相に任命します。
国の農作物を管理させるためです。
いっぽうそのころ、カナンの地(パレスチナ)にいたアブラハム一家――父ヤコブ(イスラエル)とその子供たち――も飢饉に直面していました。
パレスチナ(カナンの地)を離れ、エジプト王国へ移住するアブラハム一家
カナンの地で飢饉に悩まされていたアブラハム一家――父ヤコブ(イスラエル)とその子供たち。
つまり、ヨセフをおとしいれて奴隷にした兄弟たちです。
兄弟たちは「エジプト王国には食料があるらしい」……と耳にします。
そしてなんと、食料を手に入れるためにエジプト王国にやってくるのです。
はじめ、彼らはその正体を知らぬまま、宰相ヨセフと話し合います。
何度も兄弟たちと話すうちに、ヨセフは彼らを赦そうと決断します。
「ぼくがエジプトに売られたのは、イスラエルの家を救うためだったんだ」――このように語りながら……。
自分を奴隷にして売った兄弟にですよ??
ヨセフの心が海よりも広すぎてびっくりしますよ!
ヨセフの勧めで、家族はエジプト王国に移住します。
一家は、いまのナイル・デルタ東部地帯にあたる『ゴシェンの地』に住んだと伝えられています。
ところがのちにエジプト王国の王朝が変わります。
そして、一家の子孫であるイスラエル人たちにとって苦難の時代が始まるのです。
モーセがそれを乗り越える指導者、リーダーとなったことは前述のとおりです。
ユダヤ教とキリスト教のもっとも大きな違い
キリスト教はユダヤ教から派生した宗教のひとつです。
キリスト教とユダヤ教のもっとも大きな違いのひとつは、イエス・キリストの存在を救世主メシアとするかどうか、です。
ユダヤ教にとってイエスは救世主メシアではありません。
優れた律法学者(ラビ)または預言者であるとされます(※『マタイによる福音書』より)。
キリスト教はイエスを「神の子」としますが、ユダヤ教としてはこれを認められないからです。
モーセの『十戒』の第一戒からその根拠はきています。
1.あなたには、わたしのほかに、ほかの神々があってはならない。
この項目によると、唯一神『ヤハウェ』だけがただ一柱の神なのです。
余談ですが、神のことは「柱(はしら)」と数えますよ。
人ではありませんから「人(にん)」とは数えません。
『ヤハウェ』以外の神はあってはならないのです。
「神の子」なんて存在はユダヤ教の教えに反します。
んんー? ユダヤ教だけでなくキリスト教も『旧約聖書』って大事にしているよね??
「『十戒』があるからイエスは神の子じゃない」っていうなら、キリスト教にとってもイエスは神の子として認められなくなるじゃん……。
キリスト教では『旧約聖書』は古い聖書だとしています。
イエスの生涯とその教えを記した聖書『新約聖書』こそ、新しい聖書だとしているのです。
だから聖書を新旧で『新約聖書』『旧約聖書』とキリスト教では呼び分けているんですね。
「アブラハムやモーセが神とおこなった約束は古い契約」というのがキリスト教の考え方です。
神は「新しい契約をイエス・キリストを通すことによって人々と結んだ」としています。
新しい契約だから『新約聖書』だし、古い契約だから『旧約聖書』。
たしかにユダヤ教としては『旧約聖書』なんて呼び名は使えません!
『旧約聖書』と呼んだ瞬間、『新約聖書』=「イエス・キリストと神の新しい約束」を認めることになってしまいますよ!
ユダヤ教の開祖モーセは、自分がユダヤ教を開いた自覚はないはず
ユダヤ教の開祖が誰であるかといえば、それはモーセです。
しかし、モーセ自身には「自分がユダヤ教を開いた」なんて自覚はきっとないだろうと思います。
エジプト王国の王子として育てられたイスラエル人の彼は、同胞である奴隷たちを助けるために王国を出て行きました。
「海を割る」なんて奇跡は、世俗的な視点で考えると到底不可能なことです。
それでもモーセが実在すると考えるなら、「奴隷にされているイスラエル人たちを助けたい」と彼が心から思っていたのは本当でしょう。
安泰に暮らせるはずの王子の地位を捨ててまでイスラエル人の味方をしたのですから。
「イスラエル人たちの幸せのために」と必死だった彼が、シナイ山でひらめいたのが『十戒』と律法だったのかもしれません。
世俗的な表現なら「ひらめき」で、神秘的にいうなら「神と顔を合わせた」のです。
極限状態になることで神に出会うというお話は、しばしば伝え聞くことができます。
神が本当にいるのかいないのか、それはわたしにはわかりません。
けれど、モーセの授かった『十戒』をはじめとする神の律法をきっかけに、ユダヤ教が少しずつできあがっていった事実はたしかに存在しています。
ユダヤ人の歴史が神を必要とし、神の存在を信じることで彼らはいくばくかは救われてきました。
救われる人がいるのなら神の実在の真偽などどうでもよいことだとさえ、わたしは思います。
ユダヤ人たちは『約束の地』であるイスラエルに居住するたびに国を追われてきました。
現在のイスラエル国は、ユダヤ人による四度目の『約束の地』居住です。
ユダヤ人の居住の歴史は以下のようにまとめることができます。
- ユダヤ人の始祖アブラハムの子と孫が住んでいたカナンの地
⇒食料不足によりエジプト王国に移住する。その後、人々はエジプト王国で奴隷にされる。 - ユダヤ教の開祖モーセによる出エジプト後にたどり着いて建国したイスラエル王国
⇒北イスラエル王国と南ユダ王国に分裂後、滅亡。
ユダヤ人はバビロンに強制移住させられる(バビロン捕囚)。
シナゴーグ(教会)が始まる。 - バビロン捕囚から帰還して『第二神殿時代』を築く。ユダヤ教のベースがほぼ成立(※古代ユダヤ教)。
のちに『嘆きの壁』となる神殿ができたのもこのころ。
⇒ローマ帝国に滅ぼされてユダヤ人は離散することに。 - あまりにも悲惨なホロコーストのあとにやっと手に入れた、現在のイスラエル国。
宗教の力があれば、どのようにつらい困難や不幸さえ乗り越えるエネルギーを得られます。
宗教には以下のような力、機能があるからです。
- 社会の一般的な価値基準で幸せになれない人々に幸福感を与えること
- 自分の悩みに一定の答えを出しやすくすること
- 宗教の信者と信者でない者を区別し、コミュニティに結束力を与えること
ユダヤ教が生まれ、育っていったのは、ユダヤ人の歴史を見ると必然であり、当然のことなのです。
宗教の力とユダヤ教についておすすめの参考文献
『完全教祖マニュアル』
宗教の機能的な力について学びたい人にはこの本がオススメ!
元・新興宗教○○会の信者としても、「この心理はそのとおりだなあ」と思う箇所がいっぱいです。
日本だからこそ出版できたと思われる、ドライかつ痛快に極限まで宗教をわかりやすく解説してくれる実用書。
『ユダヤ大事典』
テキストばかりですが読みやすく、わかりやすいです。
ユダヤ人およびユダヤ教の歴史から習慣まで網羅されています。
『Pen BOOKS19 ユダヤとは何か。聖地エルサレムへ』
『ユダヤ大事典』で文章を読むのに疲れたらこちらの本がおすすめです。
写真などのビジュアル面がキレイなことと、すっきりまとめられた文章はやはりとてもわかりやすいです。
現在のユダヤ社会について知ることができるのがgood!
『こども世界の宗教 世界の宗教と人々のくらしがわかる本』
ユダヤ教に限らず、子供用の解説本はいろんなジャンルで大人にもおすすめです!
いきなり大人用の本に手を出すよりも断然イイです。
余計な情報が排除され、本質的なことが必要十分に平易な言葉で書かれています。
検索したらすぐに出てきますけど、ウィキペディアってわかりづらいことが多々あるでしょ。
ウィキペディアは情報が間違っていることも多々あるしね……(小声)。
文献と照らし合わせた結果、ウィキペディアが間違ってやるやん! ってわりとありますよ~。
その点、子供用の解説本は最高にわかりやすくてgood!